かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

紙にかく

直に描く とは 直に描くことが なくなりつつ あり ではいま あえて 描こう ではないか 描こうではないか 芯のところで こころがいう 私の雨露うろ、と 削られてしまった 心の片かたわれ、と 燃えつき 炭になってしまった わたし そのものたちと 墨汁となり …

無題

芽が 芽であり 葉が 葉である 花が 花であり 蕾、開きいづれまた散る そのさまに そのものとして 寄り添っているひとだと ふと言われた 自分が種であるときに 花ということが わたしにはできないし 花であるときには 花でいる そのひとはなぜそんなことを 伝…

きらきら

見失いかけていた感覚を取り戻しつつあった春の日啓蟄のころ 写真されど写真 写真をみるまえに彼女の言葉にしばらく立ち尽くし 彼女の映像と声にまたしばしなきました ひとのあらわすもの形造るものはほとばしるそのひとの中に内在した宇宙 そのきらきらした…

螺旋

日に日に おひさまの光を受けて 天へ向かおうとするエネルギー へその緒のように細く 柔軟にけれど丈夫に繋がる 天への糸よ . 螺旋のように のびては縮み . 心を 身体を . のびては縮ませる . . 縄をなうように 連なりあって柔軟だか強い 道標が 私と天の間…

かつて繋がっていた月のしずく わたしの手のひらに ときおり おもいださせるかのように ぽたりとこぼれる 、、、、、、、、、、、、 keyword手のひら/こぼれる/まわる/6 .絵 @ichiichi_a 言葉 @chisakokita ....月曜から数えてはにほへ木曜keywordからお…

しなやかさ

桜の花びらの行先は たどりつくその湖辺の石しか しらない しなやかにしなやかに どの花片と わたしが重なろうとも光を通すに違いない 薄くも透明な けれど 確実な 色

まとう

まとうまとうと 冬の大地の芽吹きを 待ちながら いのちが いのちをたたえるために 纏う衣を用意したとき 冬に積み重ねた 気持ちが 纏う衣となって みるわたしのこころにも 見えない纏衣まとい でつつまれる みるものすべてが たたえる纏衣 #清明

糸をたどる

いろんなことをごまかさずに隠さずに表す時代だ、行動する時代だという人がいて そうはいっても、、、と 習慣としてどうしても霧に隠してしまう。 自分でもなにが私の意図なのかわからないときがある。 でも意図していく、表していくと本当に実現していくよ…

かさぶた インク 土

分厚いかさぶたがあると言われて(ちさちゃんその中で怒ってるよ、ばーか、ばーかと言っている)といわれ (なんもいってないのにそんなことがわかるのか!!)怒りをとにかく身体の外に表明した方がいいとすすめられ、誰にもみせない、いつものブログに下書…

たびすることば..15

野原.野原=私の心いてほしい草花や眺めていたい風景いつのまにか雑然としてしまったりよそからの種がよいときもあるけどいらないときはすっと抜いてもいい今日植えた球根も少し場所が違うと思ったら移植するとターシャもいっていた 春を待つ喜びのために今…

.たびすることば10衣

衣 ハルモニが死んで 友が美しい所作で 彼女を包んでいく 麻なのか大地の白さを 含んだ衣で包んでく 弔うというのは 祝うのと とても とても 似てる わたしの、 15歳に ありたかった チマチョゴリを わたしの 辛い過去を そこを封印して 笑いながら けれど …

たびすることば4

.grace Graceの文字がめがねにみえた Graceの眼鏡からものごとをみる かけてみて気づく数々の恵 一日のおわりわたしは恵を数えるありがとうをいうために人も出来事もその素敵な眼鏡でみてみるそれは俯瞰してみるのと似ている2つのレンズからみえるそのかた…

ちいさな水たまり

いまでもよく覚えてる、娘が小さかったとき 極寒の2月に水たまりに入りたがってびしょびしょになったことを 興味があったら そこに入ることがどういうことか考えない おこられるかも?とか風邪ひくかも?とか なんのジャッジもなく入る。 長靴ですらなかった…

ときはなつ言葉と波紋と

ここでわたしが感じた風 ここであなたが拾った記憶 水鳥が鳴く声が星座のように 点と点で繋がっていく その繋がりがまた ひとつの景色と物語をつくっていく 2019.5 chisakokita ::::: :::::: ::::::: どうもいままで通りにはいかないようです うまれかわるよ…

callmyname

自分の中に沈んでいる、幼いころ呼ばれたなまえを呼んでみる はなびらが一枚、一枚と散るように 散らぬともその隙間から見え隠れする おさないころのなまえ 呼ばれるとこそばいような いたいような、けれど懐かしいその名前をそっと自分で呼ぶとき 最初のこ…

water of January

年の暮れからどうもこのメロディが離れないボサノヴァという名前の自転車との出会いからやらねばならぬ、と息子が急にイパネマの娘という曲のギターをやりはじめてからあらためて私もまたボサノヴァをききだした。小野リサからはじまって、父親のもっていた…

八つの話. 1

"隠されていたもの" 何度なく通った山道 夏になるとキャンプしにいく山道。 登山口近くの沢で銀龍草をみたという人と山でであった。その植生については詳しくないけれど雰囲気からしてとても湿気をもっている 高山植物の類になるのかもしれないけれど、見る…

stillwater

庭の、ちいさなちいさなお茶の木。今年の新芽をお茶にしてほんの少し。 無色透明に近いそのお茶 驚くほどに薫ったのです。 水辺にいくと、とても生きた心地がするのはこういう「薫り」を生き物としての私が放つ瞬間があるからかも。 五感をひらいていなけれ…

乃東生

夏枯れ草、乃東生とかいて、 なつかれしょうずとよむ。 冬至の前の候をいうのだそうです。 枯れ草を刈って土にのせる 果樹畑になるところに枯れた竹や枝を脈のようにおく 先日そんな作業をさせてもらったあと冬至はいつだったか、としらべていたらこの旧暦の…

breathing

10月1日 私の父親がなくなって早6年。6年前、父親と理由があって会わなくなって8年が経とうとしていた秋口、私は精神的に結構きつい状態にありました。その状態になにかしら原因とか、理由づけすることはできるけれど、もしかしたらそういう父親のことを無…