かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

water of January

 

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年の暮れからどうもこのメロディが離れない
ボサノヴァという名前の自転車との出会いからやらねばならぬ、と息子が急にイパネマの娘という曲のギターをやりはじめてからあらためて私もまたボサノヴァをききだした。
小野リサからはじまって、父親のもっていたジルベルトのレコードをひっぱりだすまでもなく怠惰にyoutubeをきく。


そもそも曲名を覚えない私は散々聴いた曲でも知らないことも多い。

あらためて、これすきだなあ、、と思った曲。

なんとかして検索したのは、
三月の水、もしくは三月の雨というものだった。

 

(先日もノラジョーンズの曲で一目惚れならぬ、一目聴きしたのも、検索してもらったらDecember という曲だった。

余談だけれどカレンダーライブができるかも。。)

 

メロディも、軽やかだし歌詞もテンポよく、一見するとポップな曲に感じる。
でもなんだかそういうことじゃない気がして作曲したアントニオカルロスジョビンのことを少し調べる。

一度有名になってしまったものの私生活が破綻しかけたジョビンが数年後這うようにたちあがったときの、春の芽吹きのようなくらやみからの希望を感じる。

何気ない日常の、本当に些細な発見にこそしあわせがある。大きな成功やだいそれたことが幸せなんじゃない。

けれどそんなささいなようなものを実はだれかれも少なからずもっていてそこに共感が生じるのだ。

 

 

植えていたことをわすれていた球根の芽が霜柱の間からでてくる。

山にいくと雪解けの水がちょろちょろと小川となって流れる音。

遠くの草刈りのエンジンの音。

 


喜びの、根底の地中感。暗闇。

 

3月

年が開けてあと2ヶ月後にくるその日。記憶も遠くない、必然とその日のことを憶い出してしまう。

繰り返される春の芽吹き、私が泣こうがわめこうが、へこもうが陽は昇りまた暮れ、月はのぼる。

ああ情けないなあと思いつつもその心のスペースに月の美しさを感じる

怒りの山の向こう側にあるスペース。

YESもNOもなく


山も歩きたいな
と思う。
、、、、、、、

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休みもあって翌日近所の山へ行った。
まだ冬の只中だけれど
滝に向かって登る途中、途中、滝から降りてくる小さな沢をクロスして歩いていく。

娘がしりとりをしようという。
歩いてる中で目にとまるものの括りで言葉をだしていくその単語はまさに
三月の水の歌詞そのものだった

小枝、ぬかるみ、鳥の囀り、木漏れ日
落ち葉を踏む音。
小雪、光、犬の声、吐息、せせらぎ
走る足音、、、

 

 

一月の水

 

 

今年もささやかな、けれどそこにこそ価値を求めて生きていきたい。

よろしくお願いします。

 

#青文字