かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

八つの話. 1

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"隠されていたもの"


何度なく通った山道

夏になるとキャンプしにいく山道。


登山口近くの沢で銀龍草をみたという人と山でであった。
その植生については詳しくないけれど
雰囲気からしてとても湿気をもっている


高山植物の類になるのかもしれないけれど、見る機会がいままでなく、みてみたい、と思っていた。去年意識してみたが結局みつけることができなかった。

 

今年

行く日程をずらすほどの雨で、ただでさえ、鬱蒼とした森の中。

3日分の、少し多めの食糧とキャンプ道具を背に体力のなさを感じつつ、立ち止まり横目で森を観察してみる。倒木から苔むしり、ところどころに絵に描いたようなきのこ。

 

家人たちのペースよりゆっくりなのはただ単に体力によるものだけれど、立ち止まるペースがゆっくりなのと前夜からの湿度のおかげかさいているところをみつけたのです。

 

銀龍草は多分あまり群生していないからかひっそりとしてめだたない。

白、というよりは半透明のような、名づけた人が銀といったのがわかるようなキラキラと濃い緑の中で二輪並んで咲いている。

ひそやかなものをみつけたときの喜びを周りに告げると、なんと少しはなれたところに点在している。

私たちほんとうに今年はラッキーだった、というとまたひとつ。

結局その界隈で5箇所ほどみつけた。

けれどやはりひそやかな植物なのである。

帰りはほとんどみつけることができず
ああやっぱりあれはとてもラッキーだったのだ、と感じたのだった。


山の天気も同じで展望晴れやかに山頂にたつことができるとは限らない。
なんのために登るのか、と思うけれど

多分そこに山があるからだ、というより無粋な答えも用意しつつも、

きっと在るだろう景色や生き物を発見できるかもという期待とそうでなくてもよろこべる態勢をこちら側が日常レベルでも培える練習なんだろうと思う。

そして気が抜けたころに隠されてたキラキラしたものをみつける。

向こうにしてみれば隠れていたわけでもなんでもないのだろうけれど、

こちらとしては隠されていたものを みつけられた喜びに浸ったり、何故ゆえいま、なんだろうと感慨深くなったりするのだった。

 

*八ヶ岳に行ったので8つ話をつづけようともくろんでます。