見失いかけていた感覚を
取り戻しつつあった春の日
啓蟄のころ
写真
されど
写真
写真をみるまえに
彼女の言葉に
しばらく
立ち尽くし
彼女の映像と声に
またしばしなきました
ひとのあらわすもの
形造るものは
ほとばしるそのひとの
中に内在した宇宙
そのきらきらしたものを
こんな風にあらわす
ことができる
できる
できない
はともかくとして
人のなかには
それがあります
私にも
そんな話を
友にしつつ
そのきらきらしたものを
愛すること
のできるのは自分自身だと
なにかしら優れた作品をみにいこうと
するのは無意識に
きらきらしたものが
視るひとの中にも在る
ということを確認するためなのではと
そのような幸福な装置を思いがけず得たときの
日々の中にそれがあり
かけ分けなければいけないほどくらやみにあるときこそ内側にそのきらきら
があるという
偶然というか
わかれぎわに
祝うかのように
友のわたしてくれたちゅうりっぷ
自分を大切にする
ときめたことを、しっていたかのような
春の贈り物でした