かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

物事はカタツムリの如くすすむ

 

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雨がはげしく降っている

戻り梅雨なのか梅雨にふりきらなかった

雨の朝です。

 

今年はかたつむりはあまりみかけないが

そんな雨の中でも微動だにせず

じっと絵のように

かたつむりは葉の上にいる

 

何もしていない

という一見そんなみための状況は

 

本人も何もせずじっとしていると、思っている

が心臓はもちろん動いているし

呼吸もおこなわれている

 

本当の意味で

何も起こっていないというのは

ほんとうは生きていないということになってしまう

 

 

花もまるで何もしていないかのようにみえていつのまにか芽吹いたり咲いたのをみかける。

咲く瞬間はよく理科の教育テレビじゃないけれど

長い長い録画を早送りすると動いているということがわかる

 

 

息つく間もなくいそがないといけないときもあるけれど呼吸に意識したり

静かに瞑想したりすることがどんなに有効かということは明らかなのだけれど

 

なにか忙しい、追われてるときや、やらなきゃいけないことがあふれてるときは

普通は

さらにいそごうとしたり合理的に動こうとする

 

あなたは何もしなくてもいいんだよと

いうメッセージは

あせってたり無力感におそわれてるとき

言われるとさらにおいうちをかけるように

無力感や自分を責めそうになる

 

他人に言われた言葉は他人に言われたというよりも自分がそう信じてしまっている信念を

ひっくり返さないかぎり

 

よき言葉として存在している言葉の意味でさえ反転する。

 

 

何もしないようにみえる木の上のナマケモノ

ただじっと葉の上にいる様にみえる

かたつむり

 

合理的、非合理的のあさはかなジャッジ

 

 

 

、、、、、、

 

この前久しぶりに敬愛していた祖母の夢をみた

よろよろと私の前にきて

横たわるという夢で

どんな意味があるんだろう、、と思いつつも直感力のスイッチが曖昧なここ最近

 

けれどおぼえている夢はめずらしいので

心にとめていた。

 

私の、言葉を綴ったり描いたりする活動の

屋号である、かやつりぐさというのは

祖母がかつて俳句をしていたものを

母たちがまとめて本にしたタイトルで

 

かやつりぐさ

あいたきひとの

みな遠し

 

という

たぶん母たちの祖母に会いたいという

想いものせてこのタイトルにしたのだと思うが

 

私にとってかやつりぐさ、と

いうときは

祖母を通じて天からの加護というか

導きのようなものを感じる草で

 

最近詩作ができていないという

焦りのようなときに

そんな夢をみたのでした。

 

 

そんな中

ひょんなことで

かやつりぐさを私のイメージで

ブローチを作りたいという

信じられないほど素敵な方に出会った

昨日。

ブローチももちろん素敵なのですが

そこに添えてあった言葉が

とても素敵で(それはまたのちほど)

 

かやつりぐさというのは

本当に地味で知らない人も多く

雑草の類いではあるけれど

 

 

そして

紙の原料であるパピルス  の一種でもあり

ことあるごとに

確認のような手紙のような

メッセージがやってくる

 

 

直感力の強い別の友と

話していて

祖母の横たわりの夢は

 

ゆっくり休みなさい

 

ってことじゃないかな

と言ってくれた。

 

 

ここしばらく見た目にはしんとしていたかもしれないけど忙しくそれでも足りないやらなきゃと追われていて

 

何もしなくても居るだけでいいという言葉も

認められずもがいていたけれど

 

休むということは非合理的だと

まだ信じている自分がいた。

 

モモの中でカメが

ゆっくりの方が速くすすむ

 

 

 

あなたはなにがやりたいの?

といわれた私の特にやりたいことは

 

何もしたくないけど

焚き火がしたい

 

だったり

何もしたくないけど

温泉に行きたい

 

だったりじっとしていることが

多い

 

けれどそれは次の動きへの

源と繋がりのための

何もしない

であったり、

 

それこそがおおいなる行動であったり

 

 

タツムリの如くであっても

それがゆっくりであっても

大丈夫といってくれる

神さまと繋がっていれば

 

ちゃんと足を踏みだすときの

力は与えられるし

 

休むことも行動だときがついてくる

休むことも行動なのか

 

何もしないということも

行動なのだ