すべての美しいかがやきに
うちなる力が解き放たれる
旅から帰還するかのように
はなれては
宇宙の光と熱の中にわたしはまた
わたし自身をもとめるだろう
夏至の祭りには地水火風すべての妖精が
あらわれて人に叡智を授け、
真の意志に対して
救いをもたらすという言い伝えが
古来ヨーロッパにはあるようです
「天の住処を」
真夏の夜には天の扉が開き、光が強くなり、陽の光が長くなる夏至
私たちの祈りのような想いに妖精たちは応え救いの道をみちびいてくれる、、と
夏至の日に風を、水を、大地を、火を少し立ち止まって感じてみませんか
「天にわたしの住処がある」
あなたのうちなる住処は
心地よいものですか
妖精の戯れる感覚を感じつつ
あなたの住処を、心を光で満たしましょう
文・かやつりぐさ
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詩と朗読 かやつりぐさ
絵 アトリエイチイチ
晩餐 leera_table
空間 まるとしかく
撮影 yu.taru
灯 raw
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日|2022年6月21日火曜日
時|open 17:00
start 17:30
close 19:00
場|まるとしかく
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ファンタジーというのはたいてい真実が見え隠れしている
夏の王というアイルランドが舞台のファンタジーもたぶん西洋では馴染み深い聖書の引用が多くある。
わたしの父のところには住まいがたくさんある、といったのはキリストであるが、
住まいとはなんだろうか、と考える。
旅に出ると、いかに名所といわれる場所の
大きな輝きが帰宅してありふれた住居の中にもあることを発見する。
ファンタジーの世界のとびらが開かれるとクローゼットの扉の向こうが異世界だったり
駅と駅の間にみえない線路があったりするが
結局のところいまある現実の自分の棲家にもどる。
けれど実際のところどちらが住居でどちらが旅か、どちらが現実でどちらがファンタジーかはわからない。
天にわたしのすみかがあるのならば
いまあるわたしの日々は旅なのである。
ああ帰ろうと思わせる
天の光、天のかおり、天の響き
を感じやすいと古来のひとは考えたのではなかろうか。
天の扉の開く夏至のころ
風を感じ、陽の光を浴び、夜がくれて
余韻にひたりながら灯火をともす
大地あっての食物を食し、水を感じる。
それは天では光だけの世界なのかもしれない
マトリックスのように今のうちに
旅の間に体験していようと思う日々は
一見やはり旅のやうなのである。