かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

空の空

 

 

色即是空,空即是色

 

玄奘訳『般若心経』

この世のすべての事象は,永遠不変の本質をもつものではなく,すべて空であり,また,空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理であるということ

 

 

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あふれるほどに満たされた器が

いつのまにか空になり

 

そこを別のもので埋めようとしている

 

その話をしたら友は羨ましいと言った。

なぜならそこには思いもかけない想像を超えたもので満たされるはずだから

 

 

 

 

カラカラになっていた私はそんなはずはない羨ましいとかない、と思っていたけれど

確かに埋めようと思う何かとは違うものが私の器を満たしていった

 

この春から夏たしかに

私は思いもよらぬことで

器が満たされ続けている

まだ慣れない

 

 

20年ぶりに会う友と再会したのは

そんな頃の、空になった春で久しぶりとは

思われないほどに本質的な話になる

(きっと彼女もわたしの空っぽの器を満たす1人だったのだろう)

 

ソウルに20年以上居たのは知っていたがひょんなことで今年連絡が繋がった。

 

そして偶然の重なりで夏久々のソウルで再会したのだった

 

旅はメンバーで変わる

今回は工芸の旅だった

 

 

民藝運動の中で柳宗悦とともに浅川巧という

白磁などをひろめ韓国に骨を埋めた方がいて

 

その人を辿る旅にまではならなかったが

自分だけでは到底辿り着けない学びの旅となった

 

 

 

 

 

 

 

随分と前に滋賀の五個荘の麻会館

苧麻から糸をうみ、織りをするという体験をしたり、また苧麻というのが特別なものではなく巷にはえている野の草であるというのを数年前に知る

 

からむしも

韓モシ

 

モシ=苧麻であるということを

そして日本にある伝統的な織が百済からきている、と知って牛歩の歩みではあるが

朝鮮という国に対して親しみを覚えている。

それはもしかするとわたしのルーツが渡来人なのではないか、という憶測もある。

 

(私のかつての名字、服部はっとり、という名ははたおりから来ている)

百済のない世界が

くだらない

という話も今回きいた

 

今回寺にも行きたいというと

 

 

キリスト教の思想が大きくわたしを形づくってはいるのに

どうして寺に行きたいのか、ときかれた

 

それは聖書の伝道者の書が

般若心経に通じるところがあるからではないかと

個人的に推測する

(意味もわからずだったが、祖父が唱えていたせいで実は般若心経はそらんじている)

般若心経が実はハートスートラ

心のことを伝えていると知ったのはほんの少し前だ。

 

はたして私はキリスト者であるのかといわれるとこまるのはきっと惹かれるところがいま仏教にあるからなのだろう。

 

茶に惹かれるのもそうだ

茶は仏教とともに伝えられた

 

不思議なことに韓国のキリスト教人口は日本の比ではなくけれど仏教と共存している

 

唐辛子も日本では馴染まなく

日本経由だったらしいがそれもとても

不思議なことに

結局いま逆輸入のような形で

キムチは日常の食卓にある

 

 

話が前後するが

工芸、というか民藝に惹かれる

のは世界共通の普遍的な何かで

もちろん特別な高貴なものも素晴らしいのだが

民のものは

そこにある、そこに価値を見出さなければただの雑草、のような

人の手が入ることで素晴らしいものになるものに私は惹かれる。

それはいまは作家、とわざわざいうけれどただ

ただ普通の人がつくるものだったに違いない

 

いづれにしよ心惹かれるものをつくられしものがあるというのはすばらしいことだと思う