かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

この世はつまらない

あおむしあお

 

というちいさなお話があり

こどもたちに春のはじめのこの季節にきかせる

 

 

 

蝶になる前のあおむし

地を這い、たびたびとんでくる

自由な蝶たちをみあげてはあそぼうと

問いかけるが

 

けれどみなそこにはとどまらず

踊りに、あの木までいくのよ、

と去っていく

 

そのような度重なりにあおむし

この世はなんてつまらないのだろう

なんてつまらないのだろうと

口から糸をだし

自らを自らで引き篭もる

 

蝶々の変容は

ご存知の通りで

さなぎになると

一度とけるくらいの変容で

そこには

 

この世はつまらない

 

と言い放ったその言葉自体も

変容するのではなかろうか

 

どの季節も美しさがあるが

春は特に芽吹いてくる草木と

花々が美しく

美しさを認めざるを得ない

けれど

同時にこの世は、、とあおむしのように

いいかける

いってしまいそうになる瞬間が私にはある

 

それゆえに

この世の美しさを

またこの世の体験を

いつもよりもがむしゃらに

意識してこなそうとしていた

わたしがいる

 

一度あおむしのように

自らを引き篭もってもいいのだ

 

私は変容をおそれているのか

 

かつての私を忘れるほどに

つまらないと言い放すことはできない

この世と私の隔離さえも

いまは、親しみをおぼえている

 

今変わらなければ

行動しなければ

と積極的な思いで動くのは

無理するのは

すこし違うのかもしれないと

明るさもただの明るさならよいが

つまらないと素直に言わないがための

明るさはあおむしもひからびるだろう

 

あおむしのそのネガティブな

微動だにしない

「行動」がネガティブに思えなくなっている

動かねば動かねばとそもそもが引き篭もり体質の私がなにかの穴を埋めるかのごとく動こうとしている。

 

なにかの穴は埋めなくていい

埋める必要はなかったのだ

なにかの穴に引き篭もればいい

 

この世はつまらない

と言い放ってもいい

 

この世はつまらないとわたしがいったところでそんな言葉にはなんの力もなく

(いや言葉には力があるのだが)

 

この世の美しさの前には太刀打ちできない

 

 

 

友人が忍耐という言葉の本来の意味をおしえてくれた(ギリシャ語の意味と思われるー最後に)

 

忍耐とは発酵するお酒のごとくなのだそうだ

耐え忍ぶものではない

その先には希望があるのだ

ただ発酵をひたすら待つ

 

 

よきものに変容しようとする

過程なのであれば

神は

この世はつまらないと

いうその言葉もゆるされる

 

変容していくことをわたしはどこかで

堰き止めようしていたのかもしれない

 

あおむしはさなぎとして引き籠らなければ

変容することはできなかった

 

蝶となって踊る

 

それまでは薄暗い

穴の中に重しさえもよしとして

この世のつまらなさに

この世の切なさに

 

ただただじっとしている

 

(ああお腹の中にいる幼子も同じだ)

 

 

その薄暗いところに

ただただ待つという

消極的にしかみえない行動の先には

 

ワイングラスが用意されている

自分は良いぶどう酒に変容できるだろうか

そうなることを予想してたちどまることは

できるのだろうか

踊る蝶のように変容したいのだろうか

 

つまらぬということさえおゆるしになる

創造主のつくられたものの前に

わたしもただただ消えるが如く

静かに居ることができるだろうか

 

 

 

たとえ暗闇の中にいるとしても

たとえわたしがあおむしがごとく

この世はつまらぬと言い放ったところで

遠くにちかりと光る

 

この世は美しいと

 

 

忍耐についてのギリシャ語の説明

https://blog.goo.ne.jp/agape7777/e/b9162a66c0dc9246af56a38421862c5b