かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

霜降

 

 

昨日

Liveの前に連絡がとれなくなっていた

友の死を知る

 

 

生きている不思議

死んでいく不思議

 

 

随分とあってなく

一月に連絡をとって

その後返事がなく

病気というのは

きいていて

しんどいのやろうと

そのままになっていた

 

共通の友人が

 

何か虫の知らせをかんじたか

 

私にも連絡をとってきた

その後どうにかして

消息を辿ったらしい

 

消息

 

言葉の字面をいまみて

驚く

 

 

いつも何度でも

というジブリの曲は

実はわたし相当にエネルギーを

使う曲でお蔵入りしていたのです

 

(難しい、という意味ではなく)

 

Liveで急遽ウッドベースの方とやりましょう、

これならできますね、と練習の時もすっかりわすれており、それも

スムーズでなんなくいくと思っていたのです

 

当日

彼女の訃報をきき

この曲をささげようと思いました

ところが本番

涙で、というのではなく

声がかすれてでない

 

私のうたをよくきく友は声でてなかったなー

とわかるほどひどく

自分の声のもどかしさに

がっかりしつつも

そこはまたに繋ごうと

発声の問題かも、、と

(もちろんそれもある)

 

最近はかなしいと思っても

簡単に涙が出なくなりました

ほんとうによく泣いていた

のに強くなったのか

 

なくなったときく

(まだ信じられてない)

彼女とは一時期ほんとうに自分を

ほってほって

朝まで話して

自分をほっていきました

大学の友だちだけど

彼女の家がある意味大学だった

(大学の先生も実際きてたし)

 

食べものがいかにオーガニックであろうと

環境や人のエネルギーで人は養われるしその反面失われるということも彼女に教わったし

 

セックスのエネルギーの話も色の話も

いまなんとなくみんなしってるような

精神世界の話は彼女のところでよくきいた

 

 

ものすごいエネルギーで

絵を描いて描いて

卒業してからずっとインドに暮らしていた

彼女をおとずれることはなかったけど

ここ数年日本に帰ってきて

 

必要な分の絵はもう描いたんだ、もうかかなくていいのっていってたなと思い出す

 

そんなことを

思い出しながら

あのうたはあの声はあれでよかったんだ、と

夜、友の死を告白した人とはなしていて

そう思えた。

 

いつも何度でも、という、曲は相当の祈りの歌だと感じています。

 

対象がなければ大丈夫なのだけど想いをこめるとだめだ、自分をつかいはたしてしまう。

 

たしか放射能で、不安だったときもこれをLiveで歌ってきいていたみんながないていた。

いまは戦争のことを思う

 

対象はちいさくなればなるほど

その濃さは濃密になる

 

 

 

だからか

彼女はなくなってしばらくしたいま

伝えたかったんだろう

 

彼女が天でおちついた頃に

 

 

私はいま近くに、とおくに大切な人がいて

昨日のLiveでも生きて会えることに

喜びを感じたし

今回連絡くれた

しばらくあえていない、その友人とも

肩付き合わせて会いたい

 

 

 

あんなに晴れていた昨日、

夜はどうも雨が降ったようで

大きく地面が湿っている

 

 

 

あさもや

朝靄があがっていく

 

霜降という節句にしては

 

霜よりも湿り気のある

雨が降り

 

それは私のなけない分の

涙のようで

 

泣いたらあふれる私をかばってくれてるようで

そして

朝もやが天にのぼっていくのがまるで、彼女のところに私の涙という存在がのぼっていくようで

 

朝の喜びをかなしみとともにあじわっている