なにもしたくない
というセリフを
最近きいた
このセリフ
私も去年いったのだ
なにもしたくない
はすべてにおいて
なにも/したくない
ではなくて
なにもしたくない
の中に私の場合は
たとえば
少なくとも
焚き火は含まれてない
焚き火はしたかった
とすると「なにも」
とはなんなのだろう
とかんがえる
焚き火はしたい、という無意識の
欲求がすぐには浮上せず
見事に
何もしたくない
といったあと
身体が不調を訴えて
動けなくなった
何もできなくなった
身体は私の意識の声に
正直である
その奥の欲求ニーズに
きづいてあげること
何もしたくない、って
セリフでたな
と思ったら
それは具体的にどういうことなのか
探る練習をしておきたい
それと同時に
何もしないという行為は
たとえ本人がそう思わなくても
存在しているだけ不可能だと
いうことだ
なにもしたくないと
おっしゃった人も
きっと焚き火的なことは
したいんじゃないか、
と思いつつ。