かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

湖をあげる

 

 

夜寝る前に

私はあれは傷ついたんだ

と反芻した

でもだれかの言葉に、というよりも

その言葉をつかって刃物を鍛冶屋

の如く作り丹念に丹念に

作りまたそれを研いだ

ひとつのイッシューに

寝る前だというのに

ぐさりとしてしまった

疲れていたり

情けないと思うことで

自分を耕していると

 

ひょんなことでやってきた

言葉に

自分を、自分で

傷つけてしまう

承認欲求が強いんですね

と言われたことがあるけど

承認欲求は

たぶん自分への

承認欲求の条件が

やたらと高いのだ

 

自己肯定感は

はっきりいって条件は

関係ない

褒め日記というのを

つけてたことがあるけど

褒め日記の醍醐味は

たいそうな事がなかったら

朝おきられた!でもほめる

(もちろんそれが奇跡的に

凄い場合もある)

 

 

海をあげる

 

という不思議なタイトルの

上間陽子さんの本を

予言のように立ち読みの本屋で

読んだ

話題のノンフィクションであり

でも社会問題の本だと思い込んでいたが

それは全く違った個人的な

けれどある意味「社会的」な物語

 

物語の中で

友人にしなないで

といわれたその一言

 

そうだ相手がどうであれ出来事が

大きくとも小さくとも

そうやってその出来事や

言葉を使って

自分を責める事は最後には

自分を

消すことにつながる

 

 

私はどんなに情けなくても

しぬということを考えるのは

やめたんだった。

 

けれど自分をほっとくとだめだ

 

 

ちいさな死を自分にあじあわせるのは

やめよう、と思うと

ぽろぽろ泣けてくる

 

 

 

 

 

 

海をあげる

のタイトルがなぜついたかは、よみすすめないとわからないかもだけど

 

湖に馴染みのある私は

 

湖をあげる

 

湖にあげる

と朝起きてつぶやいてみる

 

私は私の水分を湖に寄与する

 

いやちがう

 

 

海が海自身を、私をあなたにあげるよ、

湖が湖自身を私にあげる、と

いってくれてるのか

 

 

なんとなんと豊かでありがたいことか

ただただ

いただいたいている存在ということに

わたしの至らなさを包んでくれているという

ことに

私の、至らなさはそんな豊かさの前に

解けていってしまう

 

湖にただただ楽器を持っていこうか

 

音楽を奉納したい

(この言い方を言い出した

今の自分にびっくりだが)

そのきもちはたぶん

しらずしらずのうちに

いただいていることへの

感謝だ

 

 

自分はちっぽけでも

豊かさをもらっている

だからわたしもゆたかだ

 

湖が

太陽が

風が

 

 

 

彼ら自身を

常にあげようと

風景や何かで

 

わたしを

励ましてくれている