かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

手から手へ

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手から手へ

 


インドの食事

インドでは手で食べる

手でいただくと、食べるということへの

感覚が、親しく本能的になる気がする

 

食事の量も一度に

アンジャリ二杯分といわれ

調べるとアンジャリとはたなごごろ、手と手のこと、、つまり合掌

 


気がつけば合掌の意味をいままでまったく気にもとめてなかったが

 

ちいさな子の手を繋ぐように
命にふれるときに手をあわせることと、食事の度に手を合わせることは同じなのだと気がつく

 

 

、、、、、、、、

 

 

随分と前になくなった祖母は30年近くたった今でも驚きのタイミングで私に「手紙」をくれる

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(ああ手紙も、「手」か!)

 


日々是好日

 


生きているときには多分ほとんどその茶道具を私はみることはなかったのだけれど、茶碗に触れ、お釜に触れそれら大切にしていた叔母たちの住まいに触れ

母たちの昔話に触れ

 

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そしてふと先日きいた茶杓展での話を思い出す。

 


「茶人は茶杓をつくる方が多い。

その茶杓に触れるとき、その作られた茶人の手に触れることになるのです」

 

 

 

 

 

どういうわけか茶道具を譲り受けるその次の日

 


ああ、おばあちゃん、今日はおばあちゃんの誕生日じゃないの!

茶室ではそんなことは誰も気づかずか全く話題にもせず帰宅し祖母の短冊にかかれた書抱きながら

 

 


誕生日は「生きる言葉を延ばす日」と見えたのはいつだったか

生きているひとりひとりの存在。うまれた日を祝う心、そして死んでもなおそうやってかつてあったその存在を祝うことの効用ははかりしれない

 


叔母から譲り受けた茶碗を手にふと、今私は祖母の手に触れていると感じる。

 

それは手紙のようであり、

幼い日に私が祖母と繋ぐ手の感触

 

 

そしてまた私も、私と、そしてまた誰かと手をつないでいくのだ