かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

八つの話. 3

 

 

 

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'simples'

 

近所のカフェに置いてある本の作者に魅せられつつも年に一度行くか行かないかの信州方面、山以外大してどこも寄らないが、今回はめずらしく調べてみた。

 

アロマセラピーという言葉や流行りのような雰囲気はあまりすきではないけれど本質的に生活している人をみるとそういう表面的なことはどうでもよくなる。

 

調べてみると何回か通った登山口へいく道を一筋はさんだところにその方の店はあった。

こういうことはしばしばある。

ときがあるまで隠されている。

すべてときがあるのだ。

 

店先にはご自由にどうぞのブレンドされたハーブティをいただいた。グリーンサマーティ。

 

アロマセラピーは精神的にも効くというけれど。店内にいると不思議な多幸感がただよう。

 

山に行く前に少しわけてもらったハーブティの、キャンプでしみること、、、。

 

帰り下山して開店一番にまた再訪したのだった。

 

その店主、萩尾エリ子さんの本の中に、暮らしをたてるという言葉があった。

 

お金もなかったから立派な家はすぐには建てられなくてすこしずつすこしずつ

暮らしをたてていった、と。

 

 

だからこの感じがあるんだろう、ハーブの美味しい混ざり具合もすぐにできるものではない。

 

レストランをしていた時もあるという店の名前は薬草を売るだけの店になったという。シンプルにしようと、名づけたその名前simple にはあとで薬草という意味があったということが判明したという、そういうエピソードもたまらない。

 

 

人間がいくら人工的になにかしようとしても薬草のような自然と直結したものにはかなわない。

人もそうやって自然と直結してどんどんシンプルになっていくのだ

 

八つの話. 2

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 〝本と栞〝

 

栞の語源について言及している人の文を読んだ。

栞は 枝折り からくるらしく、

道中道しるべに枝をおりつつ山の中を歩いていったことが語源で本の栞となったそうだ。

 

そんなことを思いながら山を歩いていた。私ならとうてい枝を折るくらいでは迷ってしまう。現代人はきっとほぼみなそうで、紐があちらこちらにある。これは雪深くなったときのものだと思われる。

 

そういえば先日から谷川賢作さんの歌とピアノの曲をたどたどしく弾いてみている。

もちろん詩は谷川俊太郎さん

 

曲のタイトルは「本」

 

本はしろいままの紙でいたかった。

ほんとうのこというと緑の葉の繁る木のままでいたかった。

 

、、、、とすると。

森の中は本なのである。

 

文字のような、もしくは文字になる必要のないものたちの雰囲気や情景がここ、そこにある。

 

友人の太朗くんが言葉として完成していないことこそ文章にする、完成されたものは言葉にする必要はない、、といったようなことを語ってくれたことが印象深く、文字をもたないもののような気持ちになって山を歩いた。

 

登りが続くと思考はストップして、肺やら筋肉やらに気持ちがいく。

静止の状態で身体が足が一歩一歩すすんでいく。

 

タイ人の瞑想に参加したとき、一歩一歩が完成された一歩であるといわれたが、まさにそんな気持ちなのである。

 

そこで何も必要としない。ただ一歩があるのみ。完成された一歩。また一歩。はじまりで終わりであるたった一歩。

 

完成された言葉のない本。

私にとっての栞は、前回みつけた植物かもしれないし、道の両脇の苔むしった森の中かも。

 

そしてそんなことを言葉にしようとしているのだからおかしい。

 

 

八つの話. 1

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"隠されていたもの"


何度なく通った山道

夏になるとキャンプしにいく山道。


登山口近くの沢で銀龍草をみたという人と山でであった。
その植生については詳しくないけれど
雰囲気からしてとても湿気をもっている


高山植物の類になるのかもしれないけれど、見る機会がいままでなく、みてみたい、と思っていた。去年意識してみたが結局みつけることができなかった。

 

今年

行く日程をずらすほどの雨で、ただでさえ、鬱蒼とした森の中。

3日分の、少し多めの食糧とキャンプ道具を背に体力のなさを感じつつ、立ち止まり横目で森を観察してみる。倒木から苔むしり、ところどころに絵に描いたようなきのこ。

 

家人たちのペースよりゆっくりなのはただ単に体力によるものだけれど、立ち止まるペースがゆっくりなのと前夜からの湿度のおかげかさいているところをみつけたのです。

 

銀龍草は多分あまり群生していないからかひっそりとしてめだたない。

白、というよりは半透明のような、名づけた人が銀といったのがわかるようなキラキラと濃い緑の中で二輪並んで咲いている。

ひそやかなものをみつけたときの喜びを周りに告げると、なんと少しはなれたところに点在している。

私たちほんとうに今年はラッキーだった、というとまたひとつ。

結局その界隈で5箇所ほどみつけた。

けれどやはりひそやかな植物なのである。

帰りはほとんどみつけることができず
ああやっぱりあれはとてもラッキーだったのだ、と感じたのだった。


山の天気も同じで展望晴れやかに山頂にたつことができるとは限らない。
なんのために登るのか、と思うけれど

多分そこに山があるからだ、というより無粋な答えも用意しつつも、

きっと在るだろう景色や生き物を発見できるかもという期待とそうでなくてもよろこべる態勢をこちら側が日常レベルでも培える練習なんだろうと思う。

そして気が抜けたころに隠されてたキラキラしたものをみつける。

向こうにしてみれば隠れていたわけでもなんでもないのだろうけれど、

こちらとしては隠されていたものを みつけられた喜びに浸ったり、何故ゆえいま、なんだろうと感慨深くなったりするのだった。

 

*八ヶ岳に行ったので8つ話をつづけようともくろんでます。

 

 

 

 

ちいさなひかり

 

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人とくらべるのはよそう、と思った夜

 

大きく火を灯して行動していく人

ちいさく密かにおもい続ける人

秘密保護法、、共謀罪、、、自分の中でたいせつにしているものと対峙して違和感を感じるもの

 

頭をかすめて/都合のいいようにたいせつなものをかすみとられている

 

それは私の勉強不足、それはわたしの行動不足

そんな責めのつぶやきがきこえる

 

私の中のちいさな灯を消そうとする

 

まちがったり、しらなかったり、はずかしかったりすることで私の中のちいさな火を消さないで

 

ちいさな火でもむこうからやってくる

おなじようにちいさな火をもった友人をみつけることができる

 

大きすぎる炎はもえつきてしまう

市井のかすかな光の連なりこそが

おおきな力をもつのだと、夜になって気がつく

 

夜明け前は妙に暗いのだ

 

 

 

 

 

 

my favorite things

 

my favorite things について
かこうと思ったら過去にblogにかいていた
もう一度書く前に再掲

写真はちいさな人に昨日もらった
かたつむりのぬけがら

何を選ぶか、その結果がどんなにかよいものになるか

今日どこにいくか、明日どこへいくか


もちろん選びきれないときもあるし、棚からゆめのようによきことがおとずれることもある。
逆もある。災難とおもうことも
そんなとき
自分の「すき」という感覚をストックしておきたい

どうしても過去の経験やまたそんなことがおこるかも、とか、雲ゆき怪しい気持ちがおとずれるような予感すらも。
直感を信じるというけれど

その直感も、自分を満たしつづける作業の蓄積


映画、ショーシャンクの空に

で主人公が放送室をしばしジャックしてすきなレコードをかける
罰として窓のない独房に何日も閉じ込められる
でも彼の中には大好きな音楽があった
彼の頭の中で流れる音楽は誰も締め出すことはできない

世の中が変わっていくとき、または変えていきたいと思うとき
大規模な「世の中」でなくて
結局そこと「私」が対峙していて
ひっくり返ることすらある。

だからこそ「わたし」をたいせつにしたい
すき、で満たされた世界にしたい。

政治的な活動やニュースを見聞きするたびにモヤモヤするのはきっと私がそこを
通過させてないからだ。

戦争でドイツからスイスへ山越えする
sounds of music の中で
このfavorite things がうたわれてるのは偶然じゃない気がする。

私の、すきが損なわれるものの代表が戦争だ。

70

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70を迎えたばかりの細野さんと!

 

(私、細野さんの頭の上の方にかすかにうつってます。。)

 

だれかの熱烈なファンというのになったことがない。中学生のときもアイドルにはまったこともなく何人かのミュージシャンが好きでよくきいてた人はあるけれと、ライブハウスも数えるほどしかいったことがないのです。

(そんな私がライブ活動してるとか不思議。。)

 

なのでこの歳になってもそんな感じで友と話しているうちになぜどのようにもりあがったのかわからないけれどあれよあれよとチケットもとってもらっていってきました。

 

 

 

昔のナンバーは数少なく、あとはラテンやジャズのそれもあまり知られてない曲。高田蓮の秀逸で色っぽいギター

をベースにゆったりと、70で五十肩とかいいながらギターで弾き語る。

 

もうこの歳になるとすきな曲しかしないのですよ。

めざせ加山雄三とかいいつつロカビリーやったりチークナンバーもやったり。

(加山さん80歳でロックフェスでると、新聞にでてた)

 

でも何やっても激しくてもゆったりでもあのまったりとした脱力したような声でなんでも細野さんになる。

 

 

長年演奏されているとだんだんやりつくしたもののなかから原点回帰というか音楽の原点みたいなものに戻っていく。。

 

 

、、、、

先日いつもメンテナンスをお願いしている方の先生の講座に招待してもらった。

 

お年はなんと細野さんと同じ。

 

ちなみに生きていたら父親も同じ。

高度成長を、駆け抜けた東京で多分相当にバブルのような経験もされたのだという。

講座をするのに何百万というお金が動いたりした時代もあったそう。。

 

ももうこのとしになるとすきなことしかしない。

ん?どっかできいたことあるな。。

 

そしてどんどんシンプルになっていく。

 

長年お弟子さん、言うなればファンのような方を乗り越えて新しい施術の方法が昨日うまれたんですよ、と教えてもらう若者世代。

 

そして、ワクワクすることが私へのお礼ですよ、と先生。

 

どんどんシンプルになっていく

70で引退、あとは人のためにいきる。

でもすきなことしかしない

結局利他的なのは利己的。

 

ふーむとおもいながら

私自身はすきなことしかしない、といっているレベルがものすごくレイヤーの中での発言なのだけれど、私もいまそれができるはずで、やらねばいけないところ、つまりワクワクするところでしか生きていないと全然直感も働かないし

 

そこにチャンネルをあわせることの重要性。

 

整体も結局そういうことで一点そこが整うと自己治癒力がはたらきはじめる

 

音楽だろうがなんだろうが結局一緒。

やっていこう、そして人のためにも生きようと思う。

 

峠のピークの谷底

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忌々しい坂だ

 

60年代の青春漫画、坂道のアポロンで通学路の坂道の前で主人公のかおるが呟く

 

駆け上ったり、降ったり。

いまいましさは

ときにそれ自体がよろこびになったり、降りだからといってほっとするものではない

 

のぼりの坂は体力的にはあれだけど私は嫌いじゃない。

 

普段の生活は辛いとのぼることは辛くもなるけれど、なにかがまってる坂道は喜びの汗。

のぼりがすぐまっている谷底は多少うんざりのちいさな恐怖。

 

 

坂道のアポロンででてくるジャズナンバー

モーニンという曲は朝morningじゃなくて嘆きmourninだった。

 

でもそんなタイトルの曲にわくわくしてしまうこともある。

メロディになにかが反応して

 

嘆きすら、毎日のキツイ坂道ですらよろこびにかわる瞬間

 

、、、、、、、

 

先日オープニングで演奏させてもらった、こまっちゃクレズマーのライブ。

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ロシアや東欧の薫りのする音楽。酸いもも甘いも知ってるような熟練された人たち。とても楽しくて心地よい。

でもなぜか谷底感を感じる。

それが悪くない

 

ただたのしいのは私はもう要らないのだ。上手なだけの演奏も。自己表現の演奏も浮かれたような音楽もいいけれどちゃんと谷底感のある演奏。笑っちゃえるけど、泣けてくるような。

谷底を知っているひとたちのあえての浮かれた風な音楽。

 

まだまだの私はたのしげ、ならたのしげ。哀しげなら、哀しげになってしまうけれど、どうも世の中成熟した人たちは違うようだと気がつく。

 

 

かなしみを根底にかかえながらもそこはあえてかなしみといわない、

忌々しさという言葉も一蹴して喜びに変える。

かえていかないとやっていけない不条理の中で笑いというジャンルもあるのかもしれない。

 

かなしみを笑いに変えるのはかなしみという感情を自分が無視するんじゃなくて、そこを浮上させての、笑い。

 

(夜間走行で自転車旅行中の息子が眠すぎてねむったまま20キロ降っていた、、という話を、びっくりしながらも笑いながらきいた。)

 

だからなんだ、って話なのだけれど

だからなんだって内容の奥底にある何かを感じている

谷底について安心することもあるし、峠だから良いとも限らない。