かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

ちいさな水たまり

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いまでもよく覚えてる、娘が小さかったとき

極寒の2月に水たまりに入りたがってびしょびしょになったことを

興味があったら

そこに入ることがどういうことか考えない

おこられるかも?とか風邪ひくかも?とか

なんのジャッジもなく入る。

 

長靴ですらなかったのかもしれないけれど

長靴であってもたぶんもう靴の中が水溜りにになってる

 

海に足をつけることには躊躇した子が 水たまりにはおもいきり入った記憶。

 

わたし自身のそのころのわくわくを思い出そうとするとようちえんくらいに遡る。

わざと園の帰り道じゃぼじゃぼ入りながら帰る。

おかあさんは帰ってきたらどう思ったんだろう。

でもその中にいるときは

そんな先のことは考えない。

やっぱり靴の中も水たまりになっていく。

 

そうかそのものになっていきたいんだ

こどもは

すなまみれになったり 

ぐしゅぬれになったり

手でさわって 足で感じて

そのものを見たい。

 

わざわざ大人になったら近場じゃなくて大自然の中に身を投じたり

何処か遠くへ想いを馳せて現実から逃げたりするけれど

 

歩いていけるところでちいさな子はあたらしい体験を

本質を感じる

遠くの山行きたい山行きたいとぼやいてたわたしやったけど今日友のために庭の花を摘んだら

なんだか気がすんでしまった。

 

気がすむ。

って気が澄むなのかも

と思うほどちいさな水たまりに、はいったこどものわたしが満たされたかったところが満たされたようなそんな感覚

 

 

どんなにちいさな器でも満たされなかったから溢れないんですよ、と中学生の言葉にハッとする。

何か大きく大きくと思って虚しくなるよりも

いまある器にちょっとでも水をみたしたり

というか水たまりに入るみたいにじゃぶじゃぶしてみよう。

ヒトはヒト、ワタシはワタシ。

「水たまり」を全身でまた感じたい。

 

#hoppipola

アイスランド語で水たまりにジャンプする

 

 

 

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