かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

生き延びるための、

 

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文章を書くことが好きだというよりも

まさに言葉を書くことで自分と対話する

そこにだれかが何かを言ったとしても

それはわたしの世界であり

わからないといわれても

それでよく

共感した、と言われても

苦悩に満ちてる、大丈夫?

と言われてもそれは仕方ないことで

 

どこかで承認欲求という名前にしている

感情が浮上しても

ほんとうは他人ではなく

私に承認されなければいけない

 

仕事にしようとするならば

ある程度のそことの調整は必要だけれど

どうしたって

水はのまなければいけなくて

呼吸も吸わなくてはいけなくて

かなしくたってお腹はすくし

 

井戸は掘らなくてもいまはひねれば水がでてくる

心地良くしようとしたら

何かで紛らわすことはできる

 

が、しかしやはり井戸を掘らないといけないときもあるし、紛らわすなんかじゃなくて

ふつうに休まないといけないときもある

 

 

ほんとうに生きるために書くことを避けて避けて

息絶え絶えになってないか

 

私を避けないで息することを避けないで

本当に息の仕方がわからなくなった時

 

そのために書いていきたい

かかねばならぬ

と思ったのだ

 

孤独上等、と

表向きはそんなものとは縁遠いような私から

ヤンキーみたいな口調が飛び出る

 

怒ればいい

悲しめばいい

何が手放しだ

何が執着だ

かっこ悪くていい

哲学上等

 

不思議と他人の言葉が

本質的に入ってきた

理解ができないから

理解への余地がうまれる

 

 

 

 

わたしはわたしにしか興味なかったのだ

わたしの言葉すらわたしから離れた

わたしと関係のない他人的なもので

 

この一瞬の、わたしから離れたら

びっくりするほどもうその時のわたしと違う

 

変容し続ける

それがもしかすると

生き延びるということなのかも

 

眺るは過去

でたもの

書いたもの

うみだしたものを

 

ながむる

ながめては

そこのわたしと因数分解して

共通項を確認する

 

 

 

 

 

以下「生き延びるための女性史」山家悠平

より

 

 

書くことはいつも自分を受け入れることだった。

ものを書くことはいつも自由だ。わたしはただテクストのおもむくままにみたいものを見て

書きたいものを表現する。そこに描きだされたものをながめることではじめて自分と、そのまわりの世界の緊張を和らげることができる。

 


森光子が小さな文机にむかってものを書いている写真を発掘したとき

 


そこには書くことそれ自体が生き延びることであるような生の輪郭がはっきり写り込んでいるようだった。