かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

演劇

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とても楽しい

どうしよう楽しい

終わってほしくない

 

と娘はいう

たぶんそんな風にいうのは

初めてだ

 

静かであまり自己主張もせず

言葉はとてもある人なのだが

出すのがあまり上手ではない

それはいざとなると私も同じで

(というと驚かれるが)

気質は違うけれど似たような

ところにいる娘を心配したりもした

 

選ぶとは思わなかった演劇と、

そして演者になるという選択

得意の美術でも音楽でもなく

 

普段から知っている他のお子さんも

舞台の上では驚くほどに別人だった

 

私のことをいえば

こないだ身体が効かなくなって

あまりにいたみ、ある方に

診てもらうと言いたいことが、いえない

心の訴えといわれ

けれどかといっていいたいことは

そうそういえるものではなく

 

ではどうすればいいかと、

その身体を診てくださった先生は

うたうことへの効用をすすめる

人前で歌うこともあるということを知らぬのにそう仰ったのにはきっとわけがあるのだろう

 

うただけでなくてよく

踊りであっても

演技であっても

とにかく

自分自身を直接的に言い表そうとしなくても

よいということなのかも知れない。

のせていく何かが

重要で

それは直接的な言葉でなくてもよく

 

踊りに歌に

演技の中に

雲にのせるがごとくそろっとのせるのが良いのだろう

 

それは他人が気がつくというよりも

自分自身が気がついてあげる好意なのだ

 

言いたいことをさらりと言えるような人は

その分もしかすると

芸術的でないのかもしれない

 

言えない不器用さは

芸術への導きがあり

 

渦中にいると

辛さしかないが

 

かなしみのはてにこそ

美しさがあると

石牟礼道子が描いていた通り

 

やるせなさや

かなしみは

それを棚に置きつつ

 

そうだったそもそも

そうであったと

娘の在り方をみて

思うのだった