かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

かけら

そこにはもう

ないのだ

 

音のみぞしる

さざなみの

 

 

そこにもうなくとも

カタチあり

美しき、よあけのうまれの朝

 

 

むかしのことばは

むかしの「もの」語りは

 

わたしの、

わたしの

かけらをのこしていく

そのかけらを

またこなごなにしては

絵の具にし

わたしは

ものがたりを

かくのだろうか

うたをかくのだろうか

 

 

一鱗

 

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さいはてに

おおうみの

水面

一鱗の

みつけし

われも

いきる

よろこび

 

 

 

 

 

 

 

 

一鱗とは

 

 

その言葉を知るほんの二日前に

朝日にひかる水面にきらりと

うつる光をみた

その光をたよりに鳥が魚をとるのだよ

と傍らの人がおしえてくれる

 

わたしはそれをおしえてもらってもしばらくは

目がなれずようやくみえるようになると

魚の鱗が光るさまを

しばしばみることができる

不思議とそれはその場から離れても

残像から消えることはなかった

 

そして今日何気ない本の話題の中で

一鱗

という魚の数の数え方を

知ることになる

普段つかうことのない言葉だけれど

数助詞というものに詩以上の

詩のようなものを感じる

 

その数え方でもう既にひとつの情景が浮かんできて私の心からはなれない

 

その日、その足で友人の芝居へ

 

1人の男性のとても波瀾万丈な話の合間に

度々彼の幼い日のひとつの情景が表現される

ピカ、ピカ、と

川の流れの中で

水をのむ少年に

魚が、それこそ一鱗、またピカ、ピカ、と

目にうつる

 

そのあと川から離れても

水の印象の強いところでその、

ピカ、ピカという原風景が

彼の前にあらわれる

 

一鱗はもう彼の中にあるのだ

誰がなんといおうと

本人がその源流の中から離れたかのように

思えても、、あるのだ

 

そこには彼の源のような大切なものがあり

忘れるほどのことがあっても

魂が忘れない限りおぼえてるのだ

 

あまりにつらいときらりと、したものまで忘却してまおうとする

実際その男は味方であるはずの心の中のちいさきわたしすらもいっとき捨ててしまった

 

でもよき美しい記憶の中の情景は

ひとかけら、一鱗

きらりと

残っていたのなら

 

また鳥がその光の魚をみつけるがごとく

またそれは水面より釣り上げられる

 

かなしみもよろこびも捨て去った

 

みつけし光のわたしには

まだそのかなしみもよろこびもあるのだが

 

ある、のだがあえて ある を俯瞰しつつ

 

いやかなしみさえもひかりに包まれている

 

それは

さいはてにいるときでもいきるよろこび

微かな、けれど誰にも奪うことのないすべのような

 

よろこびとはこのようなものだよ、と

鳥が水面にちかづいてはまた離れるがごとく

さみしさもありかなしさもあり

けれどそれもふくめて

ゆたかなうみにつつまれる

ちいさきわたしを

 

その一鱗、の言葉に発見した

 

 

 

 

 

生き延びるための、

 

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文章を書くことが好きだというよりも

まさに言葉を書くことで自分と対話する

そこにだれかが何かを言ったとしても

それはわたしの世界であり

わからないといわれても

それでよく

共感した、と言われても

苦悩に満ちてる、大丈夫?

と言われてもそれは仕方ないことで

 

どこかで承認欲求という名前にしている

感情が浮上しても

ほんとうは他人ではなく

私に承認されなければいけない

 

仕事にしようとするならば

ある程度のそことの調整は必要だけれど

どうしたって

水はのまなければいけなくて

呼吸も吸わなくてはいけなくて

かなしくたってお腹はすくし

 

井戸は掘らなくてもいまはひねれば水がでてくる

心地良くしようとしたら

何かで紛らわすことはできる

 

が、しかしやはり井戸を掘らないといけないときもあるし、紛らわすなんかじゃなくて

ふつうに休まないといけないときもある

 

 

ほんとうに生きるために書くことを避けて避けて

息絶え絶えになってないか

 

私を避けないで息することを避けないで

本当に息の仕方がわからなくなった時

 

そのために書いていきたい

かかねばならぬ

と思ったのだ

 

孤独上等、と

表向きはそんなものとは縁遠いような私から

ヤンキーみたいな口調が飛び出る

 

怒ればいい

悲しめばいい

何が手放しだ

何が執着だ

かっこ悪くていい

哲学上等

 

不思議と他人の言葉が

本質的に入ってきた

理解ができないから

理解への余地がうまれる

 

 

 

 

わたしはわたしにしか興味なかったのだ

わたしの言葉すらわたしから離れた

わたしと関係のない他人的なもので

 

この一瞬の、わたしから離れたら

びっくりするほどもうその時のわたしと違う

 

変容し続ける

それがもしかすると

生き延びるということなのかも

 

眺るは過去

でたもの

書いたもの

うみだしたものを

 

ながむる

ながめては

そこのわたしと因数分解して

共通項を確認する

 

 

 

 

 

以下「生き延びるための女性史」山家悠平

より

 

 

書くことはいつも自分を受け入れることだった。

ものを書くことはいつも自由だ。わたしはただテクストのおもむくままにみたいものを見て

書きたいものを表現する。そこに描きだされたものをながめることではじめて自分と、そのまわりの世界の緊張を和らげることができる。

 


森光子が小さな文机にむかってものを書いている写真を発掘したとき

 


そこには書くことそれ自体が生き延びることであるような生の輪郭がはっきり写り込んでいるようだった。

 

 

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わからぬことが多すぎて
天を仰ぐのだと

あきらめることは
真理を明らかにすること
手放すことは無くすこと
ではないと

ささやかにきこえぬほどの
ことに耳を傾けないと
濁音にのみこまれる

 

 

 

またあきらめきれぬ

まがいもの真実が私の前を

横行する

 

蝋燭を灯してみようか、と

 

ささやく声がする

 

秋がしのびよりしのびより

している

手放すこと

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手放すことは失うことではない

 

よろこびを持って手放すと

 

 

手放し方はしっていた

けれど

手放すことはさしだして

なくなってしまうことだと

おそれおののき

握った手から落ちていく砂を眺めながら

もう目の前にない現実さえも

握っていた

 

 

いいえ手放すことは失うことではないのよ

という声が聴こえてきた朝

美しい満月の名残を

みに湖へむかう道で

わたしは神に祈った

 

ひと知れず祈る言葉ですら

いちぢくの葉でからだをかくすように

きれいごとだけをつたえていた

 

その神に

わたしのくるしみを伝えたのだ

 

神は沈黙する

よきにしろ

悪きにしろ

 

湖にいったとて

曇天もあり、上がりきった陽の光を

浴びるだけのこともあるが

 

陽を帯びた

青色にかがやく空の月と

反対に

大きな湖と対になるちいさな湖からは

いく人もの、

そしてわたしが放った美しいものが表されているようだった

 

手放すことはなくすことではない

手放すことは失うことではない

 

 

手放すことはわけあうことでもあり

分かちあうことでもあり

手放すことは蒔かれることでもあり

 

いただいているギフトが箱から放たれるかのように星屑のように

湖面に、空にかがやいたのだ

 

よろこびとともに手放したのです

美しさはわたしの前にあり

美しさはわたしの後ろにあり

 

わたしの周りには愛が満ちている

 

ひとりでたっているからこそ

ひとりでいるからこそ

 

わたしひとりをとらえて離さぬ

美しさよ

 

言葉での問いは言葉の祈りは

言葉でかえらないことがある

 

返事、うけとりました

ほんとうにありがとうと

 

てばなしの

手紙を届けてくれただろう

水鳥に礼をのべた

 

 

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手放しで

喜べない

という手放し、とは

そういう無条件のようにみえる

言葉の奥深さ

 

 

 

 

芙蓉

 


芙蓉

 


夏の朝

水のはったガラスには

芙蓉の花が満面に生けられている

 

幼きわたしが

朝起きると洗面所の金たらいに

水が張ってあるのをしる


その一杯のみのたらいの水を

みなが掬って顔をあらう

気づくといつのまにか

打ち水が玄関先にまかれており

涼をとるようにと摘まれた

芙蓉の花々が

水の張られたガラスに浮いている

 

 

一度摘まれ、いのちの道をたたれるとみえた草花の、また水に放たれるを

生け花、というように

 


日々おとずれる朝

はられた水を掬って

顔を拭うとき

 

 

 

花を生けるたびに

顔を拭うたびに

いや拭えないときでさえ

そのガラスに浮かぶ

幼き夏の日の芙蓉を

おもうに

 


きっと

また

あらたに

わたしも花も

生かされるのだ

 

 

 

雲の纏い

 

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雲も重いと雨になる
どうも私はみずからの
雲をあつめてしまいがち
かろやかに浮かぶ雲になりたい

ほんとうに雨を降らすときは
天にいくときだ、と傍らのひとがいう
雨を降らさないからといって
雨の素がないわけではない
軽やかだからといって
哀しみが内包されてないのではない

湖面におちた雨水のふるえと天に昇るみえぬほどの霧のような
その人の雨水をわたしはみとめることができようか