かやつり草

日々の、おもいたつこと

うさぎの変容/たぬきは化けたのか

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いないいないばあ

など描いているせなけいこさんの絵本、

たぬきとまんまるおつきさん

 

 

先日よみきかせをされているcafeのおなじみの女性がたぬきの格好するから、これ読むねと、

着替えている間よかったら読んでほしいと言われ一日に2回読ませてもらいました。

 

せなけいこさん独特のブラックユーモアの中にちょっと切なくなるような。 

よんでもらったらいいのですが。あらすじをいうと。

 

うさぎはたぬきが許せないわけです。

まんまるお月さんにたぬきを懲らしめるようにたのみます。

お月さんはいいよ、そのかわり一か月たぬきにどんなにいじわるされても親切にするんだよ、約束だよ。といいます。

 

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さてたぬきは相変わらずうさぎにいじわる。

けれどうさぎの方では態度を変えます。

挨拶もするし、たぬきの手伝いもします。

すると、たぬきはうさぎのことをいいやつなんじゃないか、とおもいはじめて、とうとううさぎに対して親切に、親しく接しはじめます。

やさしくされれればされるほど今度はうさぎは困ってしまう。

何故ならお月さんがたぬきを懲らしめるときがもうすぐだから。

 

 

さて続きは絵本読んでみてください。

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(狸姿の写真はやっぱり載せないでおきます。紙芝居の達人のおしゃれマダムと、一緒に紙芝居手伝ってた友と)

 

、、、、、、、、

私にも苦手を通り越してそれこそお月さんにたのみたくなるようながんじがらめになった相手がいます。

 

もうなんというかどうしようもなくコントロールできなくて。

距離をおいたりなんやかやするのですが

やっぱりなにかと神さまのおためしかふいにお出会いする。。

 

 

ずっとその絵本のことが頭にありました。

 

いやだな、と思っても昔の私はそんな感情をだしてはいけないと気持ちを抑えて抑えて

 

キライという

感情を封じていました。

でもそうするとどんどん自分が後回しになって

好きだった相手の部分も好きだった自分の部分も否定するようになっていって

長い長いトンネル。

月すら見えやしません。

 

うさぎみたいに、ほんと嫌い!ってなっていいのです。そういう感情にきづいたときもそこにその単語をつけることに躊躇してしていたのをらおぼえています。。

 

でもあの絵本ふかくって、

それをだれか友だちにいうんじゃなくてうさぎは天に(お月さま)いう。

訴える。

 

おつきさまに復讐をたのむわけです。

それくらいの深いうさぎの闇。

おつきさまはそこでそんなことを言ってはいけない、とは言わない。

そうか、そうかと光りながら受容してくれる。

正義もかまさないし、オーケー、大丈夫やっつけてあげるから。そのかわり1ヶ月のおためし(たぬきに親切にする)をしてごらんという。

 

 

自分の感情をみとめて訴えてもいい

天とつながる

天はそれを否定しない

自分で復讐をしない 

でも復讐してほしい相手を

祝福するカタチ(実際にはそうおもってなくても)を取ることで

 

人間の根源的な気持ちが満たされていく 

 

ほんとうは復讐なんてしたくない。

わかってほしい。

でも

まずは自分の感情を自分がわかってあげる。

 

私はそこのファーストステップを無視しすぎたためにこじらせてしまったのだな、と

 

そこを無視し続けるとよいものも無視してしまう結果に。

 

最近の私はキライとか平気で言ってしまうことがある。。

それはそれである意味修行が必要なのですが(笑)

おつきさまがうけとめてくれたように

そうか、そうかと俯瞰して私が私をうけとめる。

前は「キライ」という単語は私の中になかったのです。そのかわり否定否定。。

 

 

 

 

嫌いだというときって

何かで傷ついて受け入れられてない気持ちになってる。

 

でもいまは、私は私を受け入れる。ということをいちいち確認する。

 

ひとのことを受け入れて、私のことを二の次、受け入れないということになってしまわない。

 

 

ひとがほめられててもそう。

私をおいてけぼりにしない。

 

こんな年齢になって、と思うけれど

 

ひとと自分をくらべる、ということもそういうカラクリのひとつなのかもしれません。

 

 

 

自分のこころを見守れ

すべての泉はそこからくる(箴言

 

 

昔の言葉はじわじわとやっぱり名言だったりするのです。

 

追伸

何かの心理ゲームみたいなので私に必要な歌はハッピーバースデーとなりました。

うまれてくることって全身全霊をもってすごいこと、それを自分が一番に祝うこと。

自分の誕生日が一年で一番すき。と豪語する友に、そうだ私も!と。

私ファーストだな。といろいろ平和のことを考えててもそこにいきつくわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ときはなつ言葉と波紋と

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ここでわたしが感じた風

ここであなたが拾った記憶

水鳥が鳴く声が星座のように

点と点で繋がっていく

 

その繋がりがまた

ひとつの景色と物語をつくっていく

 

2019.5

chisakokita 

 

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どうもいままで通りにはいかないようです

うまれかわるような気分

発熱

体調も、そして心も落ち込んではいるけれど

もう何かを理由に落ち込んでいるというよりは

必要で落ち込んでいるのだと自覚。

全託。

 

、、、、、、

 

宇宙の図書館とひとりひとり繋がってる

 

そんな不思議なことを昨日ききました。

そして自分が解き放った言葉が

まわりまわっていまわたしのところに届くということがあるようです

 

ときはなてばもうすっかり忘却していたのに

あなたの言葉は今のわたしにぴったりだったよ、とそこでわたしは自分のときはなった言葉をだれかからあたらしい気持ちと懐かしい気持ちできく

 

そもそも星座なんていうものも、はっきりいって遠くからみればひとつの点にしか見えない。それをつないだのはそれをみていたあまりに豊かなイマジネーションをもつ人

いや宇宙からのメッセージだったかも

 

だからたくさんの粒子がちらばっていて

沢山の情報がちらばっているなかで、

 

なにかをとりだしたり、受け取ったりするのは

自分の取り出す、という意思でもあり、

偶然のようで必然の「投函」なので

 

そのときの摩擦がまたふわっと波紋をよびおこしている

 巡り巡ってまさかの一年後、2年後に同じメッセージが来ることもある

 

そして物語がはじまるときがある

物語のはじまりは

闇の中からだ

無のようなそんな感じ

 

光をあらわすために

影も存在する

 

そこに光が現れるために

 

(写真の薔薇。ローなときにタイミングで友人の家の庭の薔薇をいただく。嬉しい。)

 

 

 

 

 

 

 

清明 はじめてにじがみえる

 

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新緑の季節、みるまに

芽が出たとおもいきや葉が広がっていく

あのちぢこまった姿や閉じているときの愛おしさはなんだろう。

 

開くと嬉しい、けれどさみしさが多少あったりなかったり。

なんでしょうね。

 

あったときには触ったこともないといっていた友人が楽器をたずさえては方々で唄っているという。

実はプライベートでしかまだきいたことはないのだけれど、本人がどう思おうと、その人はある意味メッセンジャーでなにかみえないものに動かされてるものがあるのだろうと察する。

 

がんばるという言葉が苦手で、本当に頑張ってるときって、がんばる意識すらなくて、生き生きとうごいている。だれかががんばるといってしまうときはなんとも切なく感じてしまう。

まあ、頑張らないといけない時もあるのだけれど、わたしはその言葉をのみ込む。

 

ひたすらなにかにつきうごかされてるわけだから。

 

暦のうえでは

はじめて虹がみえるころらしく、

この冬書いた詩を外国にいる人に送ると、 

彼の国では詩の中にいる虹の使者のようなヒトがたくさんいるらしい

 

虹というのは光の加減でみえるわけで

ほんとうはめにみえないけれどいつもみえているひかりの色、、

色というサインにもっともっと敏感になろう、

使者からのメッセージにもっと耳を傾けよう

 

 

 

、、、、、、

 

 

 

 

 

 

虹の使者は
闇の中で働いている

誰かにメッセージを届けようと
今日の色彩はこれでいこうと
あの人に届けるように
この時に、よきタイミングで
時間も場所も
暗闇が深いうちから

光の粒を調合して

日が昇る前から
せっせと働いている
誰かの声に
耳を働かせて
またその声のもとに届けようと

また虹みたね!とあの人とあの人を繋ぐために

虹のはし、とはしをどこにしようか
せっせせっせと暗闇のうちから
働いている

 

chisakokita 

 

 

(あたらしいはじまりのまえ、より虹の使者)

言の葉

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剪定というものをこないだ庭師の方に教えてもらったのです

 

整えていく道すじというものがあって全体の形、そしてどの枝をメインにしていくか、

こみあわないように切り揃えていく過程と、

外の芽、内側の芽、

平行枝、根元で切ることなど、一度ではなかなか実際には身についてはいないと思うのですが、近くをよくみること、、、ばかりでなく

たまに少し遠くからみてみることが大切とのこと

 

 

絵を描いたり言葉をかいたり、たびに出たりしたりして遠くのモノを近くに寄せてみること、

 

遠くにいって、もしくは遠くを思いながら日常をすごしたり、淡々とした日常を味わいながら遠くのことを妄想する

 

日々の「近く」は相当に大切で、繊細で、

なにかを省いたり、なにかを断ったりしながら自らの道をかき分け日の光を浴びる

たまに失敗して、ああ、、と思いながらも

 

俯瞰してもの事をみるようにたまにはふっと遠くみる

 

山が笑う新緑

気づけばとても緑まぶしい季節です

 

 

手から手へ

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手から手へ

 


インドの食事

インドでは手で食べる

手でいただくと、食べるということへの

感覚が、親しく本能的になる気がする

 

食事の量も一度に

アンジャリ二杯分といわれ

調べるとアンジャリとはたなごごろ、手と手のこと、、つまり合掌

 


気がつけば合掌の意味をいままでまったく気にもとめてなかったが

 

ちいさな子の手を繋ぐように
命にふれるときに手をあわせることと、食事の度に手を合わせることは同じなのだと気がつく

 

 

、、、、、、、、

 

 

随分と前になくなった祖母は30年近くたった今でも驚きのタイミングで私に「手紙」をくれる

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(ああ手紙も、「手」か!)

 


日々是好日

 


生きているときには多分ほとんどその茶道具を私はみることはなかったのだけれど、茶碗に触れ、お釜に触れそれら大切にしていた叔母たちの住まいに触れ

母たちの昔話に触れ

 

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そしてふと先日きいた茶杓展での話を思い出す。

 


「茶人は茶杓をつくる方が多い。

その茶杓に触れるとき、その作られた茶人の手に触れることになるのです」

 

 

 

 

 

どういうわけか茶道具を譲り受けるその次の日

 


ああ、おばあちゃん、今日はおばあちゃんの誕生日じゃないの!

茶室ではそんなことは誰も気づかずか全く話題にもせず帰宅し祖母の短冊にかかれた書抱きながら

 

 


誕生日は「生きる言葉を延ばす日」と見えたのはいつだったか

生きているひとりひとりの存在。うまれた日を祝う心、そして死んでもなおそうやってかつてあったその存在を祝うことの効用ははかりしれない

 


叔母から譲り受けた茶碗を手にふと、今私は祖母の手に触れていると感じる。

 

それは手紙のようであり、

幼い日に私が祖母と繋ぐ手の感触

 

 

そしてまた私も、私と、そしてまた誰かと手をつないでいくのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほうきが飛ばない

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ほうきはそもそも飛ばないもので

言葉もそう思えば

何も浮かばなくてもよいのかも

とはやる気持ちもそこそこに

 

そうだあの人を助けようとしたキキが

デッキブラシで飛んだように

きっと私も不格好で結果的に弘法筆を選ばず、な感じになるのだろう

 

まえへまえへ行かずとも

行かなければいけない時はいくし、

何もないと口ずさみながらも

きっとそれすら口ずさめない日々もあった

 

ちゃんと気流に乗るように、私が発した言葉はどこかでちゃんと伝導していて

翌日ちゃんと「引き寄せていたり」

ならばもっと言葉を発した方がいいのか、それとも黙って想いを天にのみ

述べている方がよほどよいのか

私にはわからない。

 

動いた方が吉か

じっとしていた方が吉か

それこそ運なのである。

 

運は運ぶとかくよなあ、

運ばれていくとき

運が良いといい、

停滞しているときは運が悪いというのか。

 

私は意外と赤信号が好きでその間に深呼吸できる。

 

今の状況を運が悪いということも

運が良いということもできる

 

だれからみても不運な人が喜んでいたり

さほど悪くなくても満足できていない場合もある

その出来事をさらりと受け止めて流すことのできる人

 

それは本当に才能だ。

さあほうきが飛ばなくなったと

ずんときたとしてもやっぱり

笑ってられる。

 

事象はただそこにあると言うだけ。

 

 

 

渡り鳥

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何も湧いてこない

何もおとずれてこない

 


ズドンと鈍器のようなおもしが蓋となっている

 

 

 

暗闇と痛みだけ

重さとかなしみ

 


痛みさえ通り越して何も感じない

とどいた手紙も封印されてきっと届かない

 


風だけが吹いている

すすきの原を風が吹いている

 


わたしはいつのまにかその重石になっていた

地面から暮れていく空を石がながめる

 


渡り鳥が曲線を描いて飛んでいくね

とそばにいた石がいう

 


ほんとうに?

目を凝らすと

ああほんとうに

 


染まる暮れゆく空を

渡っていく

点の群勢が

天の群勢が

 


めをあげると

重石はすこしかるくなっていた

 


重石のすきまから溢れるものたちのささやかなこえをきく

 

 

 

湧き出る泉の場所はここにあったのだ

言葉を押しとどめていたのはわたし