かやつり草

日々の、おもいたつこと

この世に熱よあれ/人間に光あれ

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..
人の世に熱あれ
人間に光あれ
.

やはり光なのだ
けれど
こんなに
涙なくして唱える
光、という言葉があろうか
私は闇にかがやく光だ

あなたとわたしの間に闇があろうとも
夜は明けて光がさす
初冬のめまぐるしく
かわる
光と暗のいれかわりに
心はざわめくも
暖炉に薪を焚べるかのように

薪をいれつづけてくれる人がいる
わたしのかわききったスペースにも熱を与えてくれる人がいる

冷たいままでいいと思うことも
人の存在は
やはり熱なのだ
生きている人間は熱なのだ
.
一杯のコーヒー
人の温もりを感じる物
弔う人との間にも
祝いのときも
ともしびを必要とする
それが人だ

この世に熱よあれ
人の間に光よあれ

 

 

戻すのか還るのか

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最近

ルーツをさぐっている気がする。

鳥が羽をおとしたくらい

偶然的で

けれど必然のように

飛び込む言葉

key wordを

つなげてはつなげては

そこに何か解釈したり

 

それがまたとびたっては

誰かのところに

また羽が落ちる。

ちゃんとピンでとめることも

もしくは巣に返すのか

土に還るのか

 

点と点を繋ぐ

繋ぎたくなる習性があるのです

 

つないだ最初の点は

私ではないはず

 

過去に遡ることが

先にすすむ道標ともなる。

 

 

 

無意識と意識の沼

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友人の個展でライブドローイング

するということになり

音を添えてきました。

 

コシチャイムという

の4種類の中でもっていた土と、水を

流しながら詩を朗読

拙いウクレレを、ささえに何曲か弾き語りしてきました。

音はみえないもので無意識にリンクしやすい

と思ってます。

私技術的なこともあるけれど

できるだけシンプルに

シンプルに歌もありたいと思う。

複雑に精巧にできている世界だからこそ

シンプルに単純に

喜びや悲しみもどのようにも変容する

無意識と意識の沼。

個展の絵は会期中少しずつ変化して

最後はどこに行くのだろう。

楽しみです。

 

 

 

mirror into the life,creation

 

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ちいさなあなと思って近づくと

それはわたしの目

ちいさな鏡にうつる私の目

 

 

 

白い部屋の中にだれかが目を薄めてる

だれかがたったら

やっとみえる儚い天から垂れる細い細い糸

上の方で光のミラーがきらりとみえる

 



 


隣の部屋にいる

2人のちいさなちいさなうごかぬひとたちを

まるでわたしととめどなくみにくるひとたちの方が透明でうつしだされないようだ

 


死んだ人もただよっていると感じる

たぶん今日は父親が生まれた日だからだ

命日、とつぶやいたけれど

命日とは命がこの地上からとられた日

生まれた日も命がもたらされた日ならば

生まれた日も命日なのかもしれない

死も生も

 


なんていうことのない

たゆやかなひもが風に揺れてる間に

人が交流している

 


たゆやかに紐が絡まりそうで絡まることなく

それを

いぶかしげにひとびとがのぞく

ふと気がつくのは

アートは

創造は

人を圧巻することではなくて

何気ない日々の光景

自然の中だけでなく

日常の何気ない、ゆるやかな世界にこそ

意味を設けて

生きる

活かせることなのだ

光も風も

闇も雨も

 

同じ顔も同じ身体もなく

けれど

 


なにか

を求めて

やってくる

 


美術家は

大げさではなく

ささやかな

日々の営みに

こそ

 


一人ひとりの創造主性を刺激する

 


圧倒的な芸術の前では

そこにわたしは介在するとは思えないが

ささやかなささやかな

世界には

私もいてもいいという祝福がある

 


わざわざここにくる意味は

なんだろう

この美術家という人がもたらそうとする

しかけ

は私に生を与えようとするに違いないと

期待する

 


ここにやってくる人がそれぞれ創造主を内包した存在であることを

 


生の営み

 

日々の生活

暮らしの中の空き瓶が

中庭で

雨水と対話する

雨の日に来たかった

 


びっくりするくらいなんてことのない日常の抜き取りを

どうしてこうも厳かな世界感にすることができるのか不思議

その装置が不思議である。

 


みにゆくひとびとが

神のようなものなのだ

創造主のようなものなのだ

と感じる

 

2020.8.22

haiku

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カメラでうつすよりも

うつしがみにうつすよりも

目でみてかくよりも

こうやって

こころのカメラでうつすのだよ

祖母がいっていた

 


祖母はこころのひだを言葉にする人だった

そしてその言葉をちいさな絵にする

 


こころに響くことをどうしたら

言葉にできるだろう

言葉にした途端

そのこころのひだにひっかかる

情景が逃げそうになる

その片鱗だけを

情景を思い出す鍵のように

言葉を繋げる

 

ほんとうは

ほんとうは

言葉なんてものは

なかったのかもしれない

 

無意識の片鱗を

ただ繋げてるだけ

 

決してとどまることのない

風景

とどまることないひらめきを

ピンで留める

 

 

 

 

 

 

black bird story

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みるものすべてがまぶしくて

 

サングラスをかけて

夜のように

みるものすべて

自分をも夜にそめつけて

何度も何度も 色をかさねていく

何度も何度も

星空をきらめきと共に渡っていく

 

あなたの気持ちがわかるとはいえない

私の気持ちもわかるかしら

 

 

 

夜の染め液に浸かる

 

とりはいつのまにかよるにとけてねむりこけている

内に朝日が照らされている

夕がありあさがくる

夕がありあさがくる

誰もここでは私を見ていないと思っている

よるをとんだ鳥は

朝日に照らされる

 

違うものたちが繋がっているrace

忘れている地につたえていく

 

ワタリガラス

レースに星のかけらを縫いつける

わたしは黒く夜の鳥になったかもしれない

 

夕があり朝がくる

夕があり朝がくる

 

夜から夜へとわたる

 

けされた光

けされたこころ

 

そこにある星屑

かつての心を

ひろっていく

black bird 

わたしのことをいみ嫌う人もいる

あなたにはわたしのことなどわからないでしょうよ

とちいさな星屑は土ころとなっていう

ねえ!

わからないわからない

 

事実はあなたがどう思うが

あなたは

光り輝く星のひとつ

わかって

わかって

 

木が枝で休むかつての鳥は

黒くて美しくなく

 

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数年前、室(ムロ)という言葉をアーサー.ビナードさんのお話会で聞いた時恥ずかしながら意味がわからなかった。

あまり馴染みのある言葉ではない。発酵をさせる場所、という意味あいにもとれるけれど室という日本語を英訳するにも室にあたる直接的な言葉は英語圏にはないらしい。

しかしわからないなりにその言葉が気に入り心に留めていた。

何年かして今年。自然布、特に葛布について調べていると、室という言葉にまた出会った。

葛糸はこの夏の時期に若い茎を取りゆがいてそれを「室」にいれるという。

室の作り方はすすきをひいてその上に熱々のゆでた茎を丸めて入れてその上にまたすすきをのせる。試しにやってみた時にすすきがなかったので庭にある雑草で覆った。外に放置されて雨も降るし陽も照る中、さてどうなっているか。予想通り外側の繊維は茶色くぐちゅぐちゅに腐っている。

これであってるの。。?!と文献もあまり詳しくなくきくひともいないので

こわごわとりだした茶色く腐食した茎を近くの川で洗うと(川で最後は洗う、と書いてあった)

その汚く腐った下には金色の繊維が隠れていて川に晒すと美しく糸が水の中で泳ぐ。

 

室というのは発酵を促す部屋のようなものかと思ったが(そういう意味もあるかも知れない)少し違うようだ。

梅雨に待ちきれずに蝉が土から這い出して鳴きだした

土もある意味室なのだと思う。種が芽を出すときに外皮が破けるには水に触れたり土に触れたりすることで腐る。

そういう作用に似たことを室というのか。

「世の中には愛すべきものが無数にある」

金子文子のことを描いたブレイディみかこさんの一節を思い浮かべた。(「女たちのテロル」)

世の中には無数の愛すべきものがあるという楽観性の根拠の中で、それでもそこに見出すには一見醜いものや土の中やましてや腐ることも必要なのかもしれない。そして悲観的にしかなれないような状況の中でもいまは室である。世界は広い。と唱えることを日々の中で教えられることがある。