かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

リンゴが欠けていることにだれも疑問に思わない

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くしくもウクライ侵攻のニュースが目にとびこんだ日に新しい非暴力コミュニケーションの

本を知る。

 

 

 

対岸の火、ではないが

センセーショナルにニュースがとびこんできたり、友人たちのSNSの戦争反対の記事をみたりすると事は相当なのだと想像する。

 

けれどメディアにも報道されない

戦争状態な状況があり、

それは大なり小なり私の周りにはある

 

それは、それこそほんとうに戦争がおこるくらいじゃないと一掃されないような 

 

けれどそれが当たり前になってる

まるでりんごが欠けていることが当たり前になってる世界のように 

 

 

私の中に戦争ほどの憎しみはないか

あの人に対して苦々しい思いはないか

 

自分をせめてやしないか

相手をせめてやしないか

 

家族と何年も会えずに平気になってないか

 

逆につらすぎて

それがデフォルトに

なってないか。

 

 

戦争反対、というときに

根底で

平和であることをベースにできているか

 

憎しみが根底にあるのを無視しては

反対運動は実がならない

 

せめて

欠けていることを自覚しよう

 

 

わたしはどう感じているのか

 

そしてほんとうは何を必要としているのか

 

何も求めればいいのか

 

 

目のに提示されたニュースに対して

私はどうじぶんごととして行動していくのか

 

コロナのことも然り

原発のことも然り

 

 

結局は

自身の中の問題なのだ