n’s cinema roomよりreport
コリーヌ.セロー監督
Caos
邦題女はみんな生きている
知る人ぞ知る、美しき緑の惑星の、監督。
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平凡にこなしてる日常の中にもそんなもんだと半ばあきらめつつすごしている
そんな女。
非情な日常だとしてもいつかぬけだしてやると画策しつつも
あきらめさせようとする圧力
希望を忘れない知性も砕けそうに、暴力に瀕死の女
そんな2人が路上で出会う
混沌としたなかにも激しくフロントガラスにうちつけられた女と、流血
横にいた夫はショッキングな出会い方にさえ蓋をする
車をロックし、洗車すればすべてなかったことになると本気で思う。そして世の中そんなもんだ。
その蓋の仕方に日々、日々しょうがない、こんなもんだと思っていた日常のおかしさに妻は気づいてしまう。
ドラマティックな人生を送ってきた若い女性の混沌さが目立てば目立つほど、平凡に生きてきた妻の隠された悲哀や夫の母の存在もないがしろにする忙しさにかまけた「息子」たち
瀕死の女性が生を取り戻していけばいくほど
妻の家庭の危うさ、混沌さが露呈していく
いや見た目には圧倒的に瀕死の女性からみたら平和だ
けれどそのぬるまゆい「平和」に隠されている
愛の反対語は無関心であるということを彷彿させる気づきの、ちいさな点、点、点、が結ばれていく。
男たちが強さを保持するために使う暴力も、自分もそれに縛られていることに気づかないふりをする女
脱エジプトの途中の苦しさに前の方がよかった、よいに決まっていると思ってしまう危うさと構造
女は瀕死の女が気になる。
そして彼女と生きる
男たちはふと気づく瞬間もあるが
どうすればいいか途方にくれる男
気づかないまま死にゆく男
騙されることに悦楽をおぼえる男
その幻想のまま現状がどうなってるかわからない男たちをあとに
海辺の家に辿り着く
共に座っている満ち足りたおばあさんの顔が印象的だ
私の周りにいる男性たちはこの中の男性たちとは違うのだけれど構造的におちいりやすい、また陥ってる社会の構図の突破口のような清々しさをおぼえた映画でした。
dans le jardin
写真は四月に予定しているdans le jardin のeventのimage
映画の中の海辺の家に少し近い?
庭から続く湖岸が心地よかった。
春。