かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

ほんものはなおせる

何年か前のクーヨンという雑誌で松浦弥太郎がほんものはなおせる、とエッセイに書いていたのをとても印象強く覚えている。
松浦弥太郎氏は、物に対してもこだわりがある方だけれど、その話の中では物だけじゃなくて人間関係の話だったように記憶する。

ケンカしても、壊れたかのようにみえてもまた復活する関係。それがほんもの。
復興という言葉もある



今日はすっかりファンになってしまった、藤原先生の話をききに、市場付き市民大学と称して三井寺のオーガニックマーケットにききにいった。

先生の話のタイトルは「つみきとはたけ」

ドイツ近代史に詳しい先生はキンダーガーデン、つまりは幼稚園をいまから100年以上前にはじめたフレーベルについて語りはじめた。

つみきを形作ってはこどもたちはそれをガラガラと崩す。また形作る。

はたけも四季の中で蒔いては刈りとる、そして何もない時期もある。

くりかえしのリズムについて以前かいた時があったけれど、四季の巡りや、壊してもまた直すことができる安心感をこどもたちはつみきやはたけで感じ取ることができるようにフレーベルは提案したとか。

なおせないもの、使い捨てのもの、なおすより買う方がやすくつく、なんて話が多い中、ほんものってなんだろう、って見極めはやっぱり
直してでも使いつづけたいもの。繕ってでも染め直してでも使いたいもの。

人が関係する世界もきっとそう。
なにがほんものなのかをめざす先を探り合ってまちがっても修正してはまた平和をつくっていく。

これ以上なおせないものをつくらないでください、といったのは当時小学生だったセブァンスズキ、と藤原先生のに話の後友人がいっていた。


ほんものはなおせる。
なおせないものは最初からつくらない。

こわしても再生していく力を養う。
工業社会に入る前はそんなことはきっとできていたのだろう。