かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

心の庭

 

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実はここ6年ばかり箱庭療法のようなものを受けている。

 

私には家庭というものがあるようでなかったからご夫婦でされているセラピーみたいなものに「父母」を感じて惹かれていったのかもしれない。

 

きつかったときには本当たすけられた

 

今回一年ぶりに、案内をあって、はじめて自分の方からたずねて箱庭をつくる経験をした。

 

簡易的な手づくりの箱庭。無になって形を作っていく。

前まではなにかストーリーがあったりしたのかもしれないけれど、今回、人や動物は登場しない。たんたんと石や木が重なっていく。

 

いままでにない、すっきりとした心象風景ですね。

 

といわれた。

話をしていくうちにその箱庭の形に意味もみえてきて、確かにまだ悩みは消えていないし、現在進行系の悩みもある。

 

風景は変わらない、けれど風景との距離が変わる。

またはきつさが底上げしてる感覚。

 

ああ。私いやだとおもってるよなあ、とか、うらやましいと思ってるよなあ。

 

それがうまく言えないけどその言葉の呪縛に自分が留まっていないというか。

 

いやだなあ、、ということばと私という存在が浮遊している感覚。

 

以前ならそれにガチガチになっていた。

 

私が行こうとしていく憧れの場所にはいつも行けなくその大きな固まりには行けなくて、でも本当にそこに重きをおいているのかい?

 

ふーーっと小さく心ゆるせる場所があってそこにいることがよい

 

とか言いながらやっぱりごちゃごちゃいいながらもがいていたり。

 

それでもふと

冬の中の種なのかもと。

動きがないかのようなスローな動きの中で芽がでるときがくると。