スカボローフェア
この歌の旋律と歌い継がれるのは香りなのだ
すでに過去にかいだ記憶の中で、いままでにかいだことのない香りが自分の何かとリンクしていく
何かのまじないのように
その香るものを口ずさみ想像する
ああうれしい、という気持ちのとき。
ああだめだ、という気持ちのときも
誘う香りの向こう側は
森のような、手入れのされた庭のような
その感情を溶かす心象風景
スカボローがどんな場所かは私にはわからないけれどきっとパセリー、セージ、ローズマリー、タイム
日本でももう認識の高いその草の香りがたちこめる場がきっとあるのだろう。と想像したりもする。
戦争に行った大切な人、旅に行って戻ってくる気配のない人
待つ者が、行くことのないその「スカボロー」を思いつつ祈っている
きっとその香り立つ草を想像していればどんな場所でも大丈夫、と。
繰り返しのメロディの中の、繰り返しのリリック。
風はおこってはまた消えて流れていく
薫りもその風にのってむこうからあちらへあちらからむこうへ届くのだろうか。
、、、、、、
room最終章終わって、10日ほど。
実は昨日キペルスパピルスのライブもさせてもらって
気持ちがそちらと混ざり合ってしまっているのだけれど
この空間のテーマとしてやっぱりherbがあるのだな、と感じる。ローズマリーの魅力に気づかせてくれたのもこの店のメニューからだし、冬はコトコトとハーブの束が鍋でかもされてる。
だされる水も
気になる植物は遠くのものであっても自分の近くに植えてみようと牧野博士もいう。
身近なのだ、けれど気づかない存在や小さいものにこそ偉大な魅力があったり
そんなことを気づかされる
近くで、、遠くを想う
たまには遠くにでかけたい欲も出るのだけれど妄想のように
本の中で、音楽の中で、家の近くの野原でその場を感じつつも遠くを感じる。
マニアックはやっぱり似合わないしなれないのだけれど私は私でいいのだと、
たかが、いや。されど小さな草の作用に圧倒される
わくわくする方へ
そんなこといっても、と
蓋をしてももれてしまうその香り。
しょうがない
それでしか生きられない