数年前、室(ムロ)という言葉をアーサー.ビナードさんのお話会で聞いた時恥ずかしながら意味がわからなかった。
あまり馴染みのある言葉ではない。発酵をさせる場所、という意味あいにもとれるけれど室という日本語を英訳するにも室にあたる直接的な言葉は英語圏にはないらしい。
しかしわからないなりにその言葉が気に入り心に留めていた。
何年かして今年。自然布、特に葛布について調べていると、室という言葉にまた出会った。
葛糸はこの夏の時期に若い茎を取りゆがいてそれを「室」にいれるという。
室の作り方はすすきをひいてその上に熱々のゆでた茎を丸めて入れてその上にまたすすきをのせる。試しにやってみた時にすすきがなかったので庭にある雑草で覆った。外に放置されて雨も降るし陽も照る中、さてどうなっているか。予想通り外側の繊維は茶色くぐちゅぐちゅに腐っている。
これであってるの。。?!と文献もあまり詳しくなくきくひともいないので
こわごわとりだした茶色く腐食した茎を近くの川で洗うと(川で最後は洗う、と書いてあった)
その汚く腐った下には金色の繊維が隠れていて川に晒すと美しく糸が水の中で泳ぐ。
室というのは発酵を促す部屋のようなものかと思ったが(そういう意味もあるかも知れない)少し違うようだ。
梅雨に待ちきれずに蝉が土から這い出して鳴きだした
土もある意味室なのだと思う。種が芽を出すときに外皮が破けるには水に触れたり土に触れたりすることで腐る。
そういう作用に似たことを室というのか。
「世の中には愛すべきものが無数にある」
金子文子のことを描いたブレイディみかこさんの一節を思い浮かべた。(「女たちのテロル」)
世の中には無数の愛すべきものがあるという楽観性の根拠の中で、それでもそこに見出すには一見醜いものや土の中やましてや腐ることも必要なのかもしれない。そして悲観的にしかなれないような状況の中でもいまは室である。世界は広い。と唱えることを日々の中で教えられることがある。