かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

日記

芒種

娘がうまれてから九年がたとうとしている。どんな名前にしようかと考えるのに自然と田んぼの風景が目にはいってきたのを憶えてる。娘の名前にある、乃、には芒、禾、、稲や、この梅雨に入る前の水のはった田んぼの爽やかな風のイメージ。田歌もいいな、と思…

ろうそくをともす

いま、私の行っているこども園ではろうそくを灯すシーンがある。朝にろうそくを灯す帰るときに灯す特別なときに(誕生日やクリスマス)灯す日々のあわただしいなかで、数分少しろうそくを灯すと、心がふっと軽くなるのを感じる。心が軽くなるのは、いまある…

NoからはじまるYesもある

イサムノグチの伝記の最後の方でアメリカ側からのオファーでビエンナーレに出ないか、といわれるシーンがある。戦前アメリカにも、日本にも拒絶された傷のあるイサムノグチは何をいまさら、とNo、という。ところがそのオファーをしたキュレーターはそこで諦…

定点観察また百葉箱

あの白い百葉箱、いまも学校にあるんだろうか。友人が数人きた先日。静かにただ静かに語る。あの白い箱のように外がいかに晴れたりくもったり、時には嵐でも、すぎゆくその場所での自分を観察していく。相手をジャッジすることも、アドバイスすることもしな…

淡々と、ただ淡々と。

もう20年以上は洗濯でお世話になっているマルダイ石鹸。場所はご存知だろうか。大津は瀬田。草津市の我が家からも近い。縁あって見学しに行ってきた。40年ほど前におこったせっけん運動のさきがけのきっかけの場所。そもそもの発端は山口県でせっけんを作っ…

生きる言葉を延ばすために

誕生日になると 何か目の前にメッセージがふとやってくることがある。 何気なく普段みない本棚にある大昔にいただいたちいさな詩集をひらくと目に入ってくる言葉。 、、、、 ひとが ひとでなくなるのは 自分を愛することをやめるときだ。 自分を愛することを…

日本の庭には造形的な美しさだけでなく、精神的な感動がある

イサムノグチによるフラー彫刻 《「イサムノグチ宿命の越境者」よりメモ》日本の庭は多分彫刻ではないか京都こそ偉大なる教師庭は、空間の彫刻 日本の庭には造形的な美しさだけではなく、精神的な感動があるそう説明するイサムに「空間スペース」という概念…

「ひらく」と「とじる」

人、それも親族との集まりとなると私はどうも億劫になっていた。気持ちが閉じてるときはどうしても他の人がキラキラしてみえるし、波長もあわない。でもいつのまにか私が開いてるときがくる。過去の記憶のまま接していてあれ?というときがきたりする。 関係…

未来の地図

憧れでしかない、到底届きそうにない、と思っていても実際お会いしてみて、親しみやすさや、共通点を発見したりして、非常に励まされたことがあった。 同世代ですでに夢を叶えている友人たち。 のろのろとしている私としては眩しくみてしまうこともあるけれ…

旅の派生

前もって知識を得るよりも、実際に作品をみてから湧いてくる知識欲を大切にしたい。 行きたい場所はある程度設定はするけれど、そこについて詳しく調べないことが多い。イサムノグチ庭園美術館もそんな感じでたずねた。 案の定というかやはり沸々と湧いてく…

私たちは失敗者でも失格者でもない。

The Inner Voice of Love HenriNouwenより 私たちの心の中には現実に痛みがある。 自分の本物の痛みだ。今ではそれは避けたり、無視したり、抑えつけたりはできないこともわかっている。私たちにばらばらになってしまった人類と一致協力して生きる義務をおし…

大いなる沈黙

http://www.ooinaru-chinmoku.jp/DVDをコレクションするタイプではないのであまり買うことはないのですが、これはでたら手元においておきたい映画でした。中学生の時にみたバベットの晩餐以来です。映画マニアでもないので詳しくないのにどうしてこうもマニ…

夕があり朝がある

聖書の創世記に「夕があり、朝がある。」というくだりが世界をかたちづくるときの最初の7日の毎日の出来事の最初にある。1日の初めは朝なんだしと、どうして夕があり、朝があった、なんだろうと読みながら思ってたときがあった。朝、一日のはじまりに起きて…