詩人の工藤直子さんのお話を昔ききにいったとき、なるほど、とおもったことがあった。
他人の詩であろうと、自分がその詩の意味を知り、感覚を共有することができたらその詩はあなたの詩だ、と。
小説であれ、音楽であれ、それを書く側は共感する種をまいているのだとおもう。読み手の代弁をしているというか。
いま、娘が一茶や芭蕉の俳句を憶えてくちずさんでいる。
その季節季節にぴったりくるとふっと情景に馴染む俳句もある。
学校で国語を学ぶ醍醐味はまさに「私」の感覚を言語化したものを見つけ、身に付ける喜びなのではないだろうか。
意味はわからなくとも