かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

百水

f:id:sallygarden:20200504104634j:image

 

フンデルトワッサー展がずいぶん前にあった

そのときの図録

幼い息子とたまたまいくと

日本の多色刷り版画の絵は

写真でみるそれよりも

びっくりするほどにエネルギーに溢れていて

図録を買って帰るとその絵の中に入ってしまってる息子がいた。

ずんずん、ずんずんといっては絵の中に入っていた。

 

f:id:sallygarden:20200504104815j:image

「美術館へ向かうあなたのあしどりが描く線はその美術館の壁画の線よりとはるかに貴重でまたうつくしい。」

フンデルトワッサー

 

 

 

まさにそんな感じでずいぶんとずいぶんとおさなごの日々の遊びがフンデルトワッサーであったことをおもいだす。

 

そして彼は大きくなって意図せずに

ニュージーランドの旅先でフンデルトワッサーの建築物とであうことになるのである。

 

不思議といえば不思議だが

当然といえば当然である

 

 

 

 

f:id:sallygarden:20200504104751j:image

百水とは、木版画の時のフンデルトワッサーの屋号(フンデルト=百、ワッサー=水)である

#ブックカバーチャレンジ

#stillroom#hundertwasser

 

 

 

 

 

 

動いてる庭

f:id:sallygarden:20200504095654j:image

 

ジル.クレマン

山内朋樹訳

みすず書房

 

この詩的なタイトルだけで読んだ気になる

ドキュメンタリー映画はほんとうにうつくしかった

「この惑星は庭とみなすことができる」

「生はノスタルジーを寄せつけない

そこには到来すべき過去などない」

クレマンの何年もかけてつくっている自宅、庭。。。ため息。

映画は本とあわせてぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

まとう

f:id:sallygarden:20200405085729j:image

 

まとうまとうと

冬の大地の芽吹きを

待ちながら

いのちが

いのちをたたえるために

纏う衣を用意したとき

冬に積み重ねた

気持ちが 

纏う衣となって

 

みるわたしのこころにも

見えない纏衣まとい

でつつまれる

 

みるものすべてが

たたえる纏衣

 

#清明

 

分解と組立

f:id:sallygarden:20200403114904j:image

 

分解の哲学

捨てられた端材で椅子
そういう感じで捨てるものを
探してそこからまた再生

手を動かすことは
捨てられた感情をまた
再生していく作業だ
ということに気がつく

ばらばらの感情や
おいてけぼりの
ファッション
あなた
わたし

あつめてはまた離れていく

捨てられたと思って
絶望したけど
拾う神あり
と昨日思って視点を変える
目の前の表面的なことだけだと

沢山の絶望や落胆を
目の前のことはちゃんとやりつつ
そこのうちひしがれた
感覚をうけつつも
ふっと高みにあがると
その奥の光
陰と光
光を受けよう

めにみえない恐怖もあれば
めにみえない祝いもある
いつか祝杯あげる日のために

何度と重ねては欠けていくのだろう

f:id:sallygarden:20200325220515j:image

 

満ち満ちているものがときはなたれていく

のが満月であるのなら

欠けている

欠けきっている

そのみえない月は

満ちていくための

 

かけている

そして

また満ちていくとき

 

満ち満ちて

また欠けていくとき

 

幾度と重ねてはかけていくのだろう

 

重ねては

また

かけていく

 

欠けては

重ねていく

 

海もそのつど

かさをましてはひいていく

 

気持ちの波がかけては

ひいていく

 

。。。。。

新月にみたからか

満ち満ちている展示に

圧倒されて

帰ってきた日

f:id:sallygarden:20200325221206j:image

 

なにかを作っていく作業を完成

させることはなかなか私にできない

きっと完成させたものも

満ちと欠けを繰り返したのだろうが

。。。。。。。

言葉も

言葉を転がすだけで文にならない

情けない情けないと

欠けた心がいうのだけれど

 

 

ともうそれはただの文字ですら

物体でしかなく

石っころのように

蓄積されていく

 

世界の終わりも

わたしにとっては

どこか自分の痛みとは関係なくて

 

ただ

密やかに

水が細やかに通るくらいに

文字が積み重なっていく

 

水の摩擦で

その石ころすら

さらに欠けては

もしかすると

いつかは

大穴になり

大水を通すかもしれない

 

 

空っぽと思ってたけど

まほうのクレヨンのごとく

真っ白の画用紙が

空間になってるにすぎないのかも

書く

書く

書く

直耕

直耕

直耕

 

 

情けないと

欠けた心が叫ぼうが

今ひとつ水脈に近づけなかろうが

耕して耕して書いて書いて

石ころ感しかなかろうが

紙を折っては入れ物にしたり

未来の手紙にしたり

のを

やめてはいけない

 

よくかんがえてみれば

月の、完成せず

在るがままに

欠けては満ちを永遠に繰り返す 

そういうこと

 

 

f:id:sallygarden:20200325231344j:image