ちいさなあなと思って近づくと
それはわたしの目
ちいさな鏡にうつる私の目
白い部屋の中にだれかが目を薄めてる
だれかがたったら
やっとみえる儚い天から垂れる細い細い糸
上の方で光のミラーがきらりとみえる
隣の部屋にいる
2人のちいさなちいさなうごかぬひとたちを
まるでわたしととめどなくみにくるひとたちの方が透明でうつしだされないようだ
死んだ人もただよっていると感じる
たぶん今日は父親が生まれた日だからだ
命日、とつぶやいたけれど
命日とは命がこの地上からとられた日
生まれた日も命がもたらされた日ならば
生まれた日も命日なのかもしれない
死も生も
なんていうことのない
たゆやかなひもが風に揺れてる間に
人が交流している
たゆやかに紐が絡まりそうで絡まることなく
それを
いぶかしげにひとびとがのぞく
ふと気がつくのは
アートは
創造は
人を圧巻することではなくて
何気ない日々の光景
自然の中だけでなく
日常の何気ない、ゆるやかな世界にこそ
意味を設けて
生きる
活かせることなのだ
光も風も
闇も雨も
同じ顔も同じ身体もなく
けれど
なにか
を求めて
やってくる
美術家は
大げさではなく
ささやかな
日々の営みに
こそ
一人ひとりの創造主性を刺激する
圧倒的な芸術の前では
そこにわたしは介在するとは思えないが
ささやかなささやかな
世界には
私もいてもいいという祝福がある
わざわざここにくる意味は
なんだろう
この美術家という人がもたらそうとする
しかけ
は私に生を与えようとするに違いないと
期待する
ここにやってくる人がそれぞれ創造主を内包した存在であることを
生の営み
日々の生活
暮らしの中の空き瓶が
中庭で
雨水と対話する
雨の日に来たかった
びっくりするくらいなんてことのない日常の抜き取りを
どうしてこうも厳かな世界感にすることができるのか不思議
その装置が不思議である。
みにゆくひとびとが
神のようなものなのだ
創造主のようなものなのだ
と感じる
2020.8.22