かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

7は8から1をひく

 

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毎週木曜にkey wordをきめて

友は絵を、私は言葉を紡ぐというのを

ちょうどコロナ禍からはじめて

二ヶ月

交代にふっとおもいついたことや降りてきた

key wordをテーマにして

のち木曜にお互いだします。

絵に言葉をつけるでも

言葉に絵をつけるでもないのだけれど

強弱やニュアンスも多少違えど

なんとなく符号するこの感じ。

必要ななにかがでてくるような。

 

個人的には言葉だけでももっと紡ぎたいと

思いつつも怠け癖か、

今は必要ないのか?あまりできてないので

こういうルーチンというかリズムがあるのはありがたく

その時その時の自分の心情や

世界をみている感覚と自分をみている感覚があつたりする。

 

特にこの非常事態な時はピークがすぎてみると

忘却装置があるのかその時その時の感覚を忘れてしまう。

なのでところどころ

こうやってピンをたてておくと

あとからみても

なんとなく筋道があって

思い出す作用になる。

 

詩は説明してはいけない

と思うし、

説明すると言葉の濃密さが

どうしても薄まってしまう。

でも

どうしても説明したいときがある。 

 

きっと絵もそうで、

タイトルは感じるその人に

感じてもらうのが

一番その作品にとって完成度が高いし

説明は言い訳のような気もする。

 

 

といいつつ、今回はうだうだと書いてみる。

 

今回のkey wordの一つは7。

 

 

 

 

なぜ7にしたかその時の理由は忘れてしまったけれど

 

7というのは

ある意味完全数

なにをもって完全というのかはおいておいて、

1週間だったり音階だったり

7にしておくと多分世界はおさまるのだろう。

 

ラッキーセブンともいうし

 

そんな伏線を

偶然的に

自らだしながら

 

7について考えていると、

別のところで8枚の花びらにみたてて

自分の存在を現す、みたいなことを

教えてもらった。

 

私の中で7というのは

完全、であるなら

その完全な在り方に、「私」の要素が足されるとき

8、すなわち∞、インフィニティ

循環のような

豊かさのような

豊満、豊かに満ちる

 

 1、というたった1人の私も、完全な存在

自然を感じるところで

共に豊かになれる

自立する

みたいな。。

 

今週の彼女の絵は

まさに生命の木のような

ダイナミックでパワフルな絵。

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生命の木は、

それこそ

その人、その人をあらわすのだから

そこに花があるのだから

ちょっとやそっとでは

その木は倒れることはないし

わたし、と7的存在は共にたっている。

自然はわたしがあってこそだし、

わたしも自然があってこそ

 

そんなことをすぐに忘れるから

日々の暦や

花をいける心や

お茶をのんだりすることが

 

思い出す

装置となっている。

 

だから

お茶はペットボトルでも

売ってるけれど

自ずからいれてのみたいし、

花も造花や人工的なものは

精巧にできているけれど

枯れるとはいえ生きたものを

いけたい。

それが本能であり、

私が私であることの

力なのだとあらためてしる。