かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

感じて染める

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もう私の子どもの頃、

親は味噌を作るなんてことはしてなくて

祖母が作ってたりしていたのをぼんやり覚えているだけ

 

自分で家のことをしはじめたときに

近所に住んでいた今はなき友が作ろうよと

教えてくれた

あの時の麹はどうだったんだろうか

記憶はないけれど

大豆も炊いて、麹と塩を混ぜるんだ、

それだけ!なんだと驚く。

寝かせた、手前味噌はびっくりするほど美味しくて不器用ながらも

自らの手でできることを少しだけ取り戻した

 

いつのまにか味噌はつくりはじめてもうかれこれ20年以上たってしまってる

お味噌づくり教えてよ、と言ってくる友達が後から後から続いて

何年かそういうことをした時もあったし

園で働いてた時はそれをしていこうと思ってやってたりした

こどもたちが一緒にまぜる

手にはいろんな菌があって

酵素ジュースを作るときも自分の手をいれて混ぜようと教えてもらった。

 

本には作り方は書いてある

でもどんなかんじ?と一緒に作ることって大切なのかも。

お茶づくりをしたときも

その人の手でいかにもこんなにお茶の味がかわるのか、とびっくりする。

 

私は自分の手に自信がないけれど

自信なんてなくてもきっとその場に共にいる人たちとのなんと言えない 繋がりの中で

菌もいい意味で感染していく。

 

感染という言葉が

いまのタイミング的にも

あまりいいイメージがないけれど

よくみてみると

なんて素敵な言葉!

感じて染めていく

 

 

 

最近、味噌づくりは一人で体調の良い時におもいつきでしか作らないけど、お醤油だったり、お茶づくりだったりはなかなか自分だけではできないからそういう場に

赴いていろんな人たちそして多分菌たちとも出会ってたり。

あったときの刺激もありまた久しぶりの懐かしさもある

そんな、なにかがうまく感染して

 

菌を通じて面白い交流がうまれる

 

今年の味噌はしないかもだけど

もやしを買って麹を作るときもある

そんな時のは夜な夜なお布団にいれて

まさしく抱きしめてみる

私の菌が、のちに私の体内に入ってくれる

再会。

 

いつからか続くその菌がお米とであってどんなふうになっていくのか

 

自分の中での変容と、

また外にでていくときの変容がいろいろと

楽しみ。

 

私の種まきが他の人への収穫に繋がったり、体内に入ったり

連綿とつながっていったりするのだ、と大豆を焚きながら夜な夜な考えている。