かやつり草

日々の、おもいたつこと

意を乗せた布

 

刺繍作家みるまにのあつこちゃんがいつのまにか宮古上布にも糸を刺繍しているという。

 

染織は若いときから惹かれつつも少し遠い存在

 

でも心ひかれる。単純にすき、っていうことだけじゃなくてそこに私が惹かれるのはいったいなんなんだろうと思い巡っている。

 

もしかしたらそんなことをすら考えずに作家のおふたりは一心不乱にさし続けたり、織りつづけたりしておられるのだろうか。

 

 

 

あっちゃんのパートナーたろうちゃんも会ったときから才能ほとばしる感じで、いつのまにかウクレレを片手に歌うたいになっていた。

誰も真似することのできない唯一無二の歌

そんなご夫婦に縁をもらって作品展とお話会で私も歌わせてもらいました。

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11歳だった少年の頃の

戦争体験を話す村上敏明さん。

 

宮古島で織作家をする石嶺香織さんは自衛隊基地ができることに反対して議員にまでなった。まだ乳飲み子をかかえるお母さんでもある。

 

標的の島、という映画にも登場する方。

 

たんたんと話す朗らかな村上さんの話は我が子の年齢と重なってリアルに考えるとどうしようもなくなる。

 

芙蓉の花(ぜひ、村上さんの体験も、歌もきいてみてください)という村上さんの体験をたろうちゃんと、中村あゆみちゃんが歌にしたもの。

明るいメロディラインとやわらかな言葉、けれど村上さんのことをきいてからだと泣かずにはいられない。

ここで書いているととても陳腐な言い方しかできないのだけれど、そのあとで小さな子を抱きながら話す石嶺さんの話が、いま、いま、いまだよと、私の心につきささる。

前に立って話していると凛として存在感のある美しい女性、という感じなのだけれど、会が終わって話すと、いたって普通のお母さん。彼女のパワーはどこからくるのだろうと思いました。

 

 

 

 

こういう運動や活動をしている友人知人は多いけれど、私はそういうところに行くと自分の無知や行動力のなさにいたたまれなくなる、、。

歌ってほしいと言われたけど、私なんかがいっていいのか?と直前まで思ったり。

 

 

しかしながら村上さんにしても、

石嶺さんも「活動」したいからしてる、というよりもそれを上回る突き動かされるものがあるのだと思う。

 

村上さんは何十年もしまいこんだ少年のきびしいつらい思い出を沈黙をやぶって話し出したのは今の日本のあまりにもの状況を危惧してからだし、

石嶺さんも織をしたくて移り住んだ宮古島でどうにかしたいと思った末の行動。

それなのに議員時代2年間は織はほとんどできなかったそうだ。

そしていまこそ現地の運動にいかないとという状況なのにいろんなことからそうできない時のジレンマや罪悪感。

 

 

 

次元は違うかもだけど

私はこないだの参議院選挙のとき、ひとつきめたことがあった。

ひるまないこと。

自分の無知に、できていることの少なさに、

自分の動きや思考をとめてしまわないこと。

 

行動を起こせてないときの罪悪感。

(なんなんですか、その罪悪感!といつも思う。)

 

そもそも個人個人の生活の中に

戦争や戦争に関することが入ってくる違和感。

「個人史がおかされている」

そういう表現。

 

、、、、、、

 

作品展の前にあつこちゃんのことを考えていたらひとつの詩が浮かんで、少し前に日記にもあげたけど

またここにかいてみる。

 

 

 

、、、、、

 

 

届けられた一枚

木がその布をつかまえる

うごきのある風と

動かない木の対話

 


わたしからうまれた布を風がとどけてくれた

と木がとどまることのない風に口ずさむ

 


天から刺す無数の光

わたしの手が横へ横へと

光から光へと渡していく

 


言葉のない語り

土からきこえる叫び

 


だれかのかなしみや

だれかの怒りが

 


土を通して浄化されていく

 


声が届かぬのなら

風は木を通して届けようとする

光は、刺す方向で人に気づかせようとする

 


ああいま

いつのまにかとどいた一枚

 


わたしの前に

光が刺す方向に

わたし糸を通そう

 


声なき声を光の刺す方へ

言葉で届かぬなら心に届くよう

 


虹のように光の色をつかまえる

 

、、、、、、、

 

「とどけられた一枚」

というフレーズが私から離れない。

 

 

ひとりひとりにとどけられた一枚があるんだ。

その大きさを人間は比較したりして

ちいさいとか、おおきいとか言うけれど

 

神さまからしたらそんなことはたいしたことではなくて

その布をどうやってつかうか、その、だれかの、意をのせた布がどんなふうに飾られるか

どんなふうに大地を再生するように

つくられていくか

(祈りは意乗りともいう)

 

自分で動いている、と思っているようで実は何かにつきうごかされてるものがある。

だから自分が何をしたいか、どうしようかという思いが、びっくりするほど小さくてもそれはたいせつにしたいと思うし、

それぞれの光を大切にしたい

 

 

自然布というのは、草の茎や綿から作られる。

羊毛や絹も動物のものとはいえ、生きているものがいのちあるものにたすけられてまとう布。

 

私は紡いだり、時折染めたりするのも好きだけれど、いのちがただ茎だったものから、色や糸にと変わっていくそのさまに力を得るからなのだと思う。

 

布をつくる人は布になる植物、もしかしたら精霊のようなものにメッセージや力を託されてるのかもしれない。

 

帰り際、少しだけ石嶺さんと話したら志村ふくみさんの話も出てきた。私自身も憧れる人。

からくりからくさ(梨木夏歩さんの織の本)もよまれたとか。

 

 

 

布を織ることは、いのちがいのちへと移っていくことを深く感じる。

 

写真ではなくどうぞ直接ご覧になることをおすすめします。

 

台風が無事にすぎさることを祈りつつ

この連休、京都安楽寺で沖縄展があり、そこでもまた展示があるそうです