かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

清明 はじめてにじがみえる

 

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新緑の季節、みるまに

芽が出たとおもいきや葉が広がっていく

あのちぢこまった姿や閉じているときの愛おしさはなんだろう。

 

開くと嬉しい、けれどさみしさが多少あったりなかったり。

なんでしょうね。

 

あったときには触ったこともないといっていた友人が楽器をたずさえては方々で唄っているという。

実はプライベートでしかまだきいたことはないのだけれど、本人がどう思おうと、その人はある意味メッセンジャーでなにかみえないものに動かされてるものがあるのだろうと察する。

 

がんばるという言葉が苦手で、本当に頑張ってるときって、がんばる意識すらなくて、生き生きとうごいている。だれかががんばるといってしまうときはなんとも切なく感じてしまう。

まあ、頑張らないといけない時もあるのだけれど、わたしはその言葉をのみ込む。

 

ひたすらなにかにつきうごかされてるわけだから。

 

暦のうえでは

はじめて虹がみえるころらしく、

この冬書いた詩を外国にいる人に送ると、 

彼の国では詩の中にいる虹の使者のようなヒトがたくさんいるらしい

 

虹というのは光の加減でみえるわけで

ほんとうはめにみえないけれどいつもみえているひかりの色、、

色というサインにもっともっと敏感になろう、

使者からのメッセージにもっと耳を傾けよう

 

 

 

、、、、、、

 

 

 

 

 

 

虹の使者は
闇の中で働いている

誰かにメッセージを届けようと
今日の色彩はこれでいこうと
あの人に届けるように
この時に、よきタイミングで
時間も場所も
暗闇が深いうちから

光の粒を調合して

日が昇る前から
せっせと働いている
誰かの声に
耳を働かせて
またその声のもとに届けようと

また虹みたね!とあの人とあの人を繋ぐために

虹のはし、とはしをどこにしようか
せっせせっせと暗闇のうちから
働いている

 

chisakokita 

 

 

(あたらしいはじまりのまえ、より虹の使者)