しる凹凸
という森山未來のパフォーマンスみたさに談ス
という3人の舞台をみてきた
そもそも前情報もなく、舞台もあいまいさ、抽象的なメッセージが満載
ここ最近まで、プロレスというものが本当に苦手で、学生のとき友人がコアなプロレスのファンだったりしたけれど
本当に怖くてダメだった。
談スは、プロレスみたいなんよ、ともう何度とみにきてる友がいう。
身体と、身体が極限まで伸びやかにはげしくかさなり汗だくになって、触れ合いどちらがどちらかわからなくなったりする瞬間もある
スライムみたいな金色の謎の液体にみながまみれながら
急に冷静に表向きは何事もなかったように話し出す瞬間。
なるほど「あくまでこれは本質的には傷つかない触れ合い」大前提
暴力が、なぜおこるのか、なぜ私がプロレスが苦手なのか。
その区別がつかなかったからだと思う。
これは、暴力じゃないからね、といいつつ弱い立場のこどもにいたずらしたり、それはいたずらという言葉で済まされなくて性暴力という言葉になったりする。
ふれあいたいけれど、ふれあい方がわからない
いまだにワークショップみたいなので、知らない人と触れ合うのは緊張する
そういった経験はされた側にしかわからない
みたいなことを横に置きながら
舞台を見続けていた。
きっと評論家やなんかは難しい言葉で批評するのだろう。
言葉に対する