どんなに遅読で幅ひろい知識がなくても、こうしてデジタルツールを使って書いたり読んだりしていてもやっぱり紙の本が好き
今号の暮らしの手帖で佐藤雅彦さんが
選択できる蕎麦屋がある至福について書いてるが、同じようにその背表紙のタイトルの並びを見ているだけで中身を読む以前に幸福感を感じます。
好みの蕎麦屋の選択のように、それはなんでもいいわけじゃなくて、心が喜ぶ本が数冊あればいいし、あれも開いてみたいこれも、、となるけれどいま読めるのは限られた数行、多くても一冊。そしてそれは紙であることが結構、というどころか最重要なのです。
コンピューターが発達して、本もデジタルで買える時代。自身も本を出す石川直樹さんは、荷物が限られる長期の極地での滞在でとうとう取り入れたデジタルブックは相当に便利だったと書いてあったけれど、それでも装丁や字体も含めて紙の本がいいに決まってる。
(断言)
春休みもあって、出先で度々、小さくも豊かな本棚の並びに幸福を得た数日。
ほかのレジャーもすきだけれど琴線触れる本棚は私にとってことのほかレジャーの上位にあるのだと再認識しました。
一番手は満月マルシェ+bookfullmoonに出店されていた半月舎さん
若いのにおちついた雰囲気と、交わす会話が楽しく置いてある本をネタに色々話す。赤瀬川原平さんのトマソンの話(ミシマ社の本に、彼女が寄稿してます)や石牟礼道子さんのこと。私は本のタイトルに惹かれて手にとった初武田泰淳。夫人の武田百合子の富士日記は読んだことあったと思うけれど。春休みに読めるかな。(読めなかった。)
半月舎さん
そしてその数日後、家族で行ってみたかったとある古書店へ(すきすぎて、とある古書店にしておきます。)
ご夫婦が自宅の一部を解放してた、家にしては沢山でしょうけれどちいさな古書店。レコードもあります。娘が、私も娘も大好きなるきさんの高野文子の比較的新しい本をみつけました。
http://dormitory-tomokins.tumblr.com/
これまたきゅんとするくらい好きな内容
私も月の本を買ったのですが
その本について調べていてうっかりamazonの古書の値段を見てしまいました。
けれどなぜか私が手に入れたのより安価であっても全く悔しいとかという気持ちなりませんでした。
チェーン店の古書店で買ったのであればそう思うのかもしれませんが、何というか、ここの本屋で吟味して手に入れて帰る。それ込みの値段というか。
この感覚は悪くありません。
そして退職記念の旅行に母と城崎に足をのばしたときのこと。
母が友人のつてで予約したらそこはどうも志賀直哉ゆかりの宿。
それもあるのか、ロビーには
セレクトされた本棚があります。
食事よりもしつらえよりもその本棚を横に温泉のあと居られる幸せ。
前述の、選ぶ幸せ。
背表紙を眺める幸せ
この方のセレクトはすきだと思いました。
城崎文学館のディレクションもされた幅さんがどうもセレクトされたのではないか、東京のとある本屋のような並びでした。
娘は豆本となった手塚治虫全集にご満悦。虫眼鏡片手に、粋なことを考えた人もいたもんだ、と微笑ましくくつろいでいたのでした。
最後に最近10年ぶりに訪れたソーイングテーブル
http://tamazkue.sakura.ne.jp/pg1.html
大阪の街中で、ここは南の島なのか
オープンエアにざっくり置かれてる、
私にとっては宝物にも思える、星野道夫さんの数々の書の棚
用事で行ったけれどここはずっといたい場所でした
ここにもその日、そういえば虫眼鏡が。