かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

言葉と、言葉なきことへの糸

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糸、というか橋

 

自分の中に言葉があるのか

と問うとつまってしまうときがある

というか詰まってばかりだ。

 

野口整体の体癖で私は骨盤型、と言われたことがあるけれど、まさに頭、ではモノを考えられなくて、下の方に降りてくるとようやく、言葉になる。

 

逆にそこまで到達しないと到底何を言っているかわからないし、私の感想もない。昔から本はすきなつもりだったがどうも頭で読んでいるような気がしない。

頭を使う、という意味においては本当にわたしは馬鹿だ、と思う。

 

 

 

私の文はそういうわけで言葉にはなっているのだけれど言葉なき言葉なんじゃないか、もともとみえないことを顕すものなんだから言葉って実体のないようなものではあるけれど、

頭脳型、もしくはなんだろう、骨盤よりは少なくとも上の方で発言をいえるような人たちの言葉の行き交いに無言になってしまう。

会話を交わさない者はそこにいてもよいのかとそういう場にいくといつも躊躇してしまう。

集会のような言葉を交わすところでであれば集まれば意見を求められる。そうすると真っ白になるか、もしくは思いもしないことを言ってしまったり。

 

それから言葉にならない自分の中にある身体感覚を言葉にしてくれている先人がいるかもしれない。と期待して先人の言葉に長けた人の書物を苦労して読む。

 

この話はまだまだかきたい事があるのだけれど、いつまでたっても次がでてこないのでこの辺で一旦止める。

続きはまた。