かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

八つの話. 2

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 〝本と栞〝

 

栞の語源について言及している人の文を読んだ。

栞は 枝折り からくるらしく、

道中道しるべに枝をおりつつ山の中を歩いていったことが語源で本の栞となったそうだ。

 

そんなことを思いながら山を歩いていた。私ならとうてい枝を折るくらいでは迷ってしまう。現代人はきっとほぼみなそうで、紐があちらこちらにある。これは雪深くなったときのものだと思われる。

 

そういえば先日から谷川賢作さんの歌とピアノの曲をたどたどしく弾いてみている。

もちろん詩は谷川俊太郎さん

 

曲のタイトルは「本」

 

本はしろいままの紙でいたかった。

ほんとうのこというと緑の葉の繁る木のままでいたかった。

 

、、、、とすると。

森の中は本なのである。

 

文字のような、もしくは文字になる必要のないものたちの雰囲気や情景がここ、そこにある。

 

友人の太朗くんが言葉として完成していないことこそ文章にする、完成されたものは言葉にする必要はない、、といったようなことを語ってくれたことが印象深く、文字をもたないもののような気持ちになって山を歩いた。

 

登りが続くと思考はストップして、肺やら筋肉やらに気持ちがいく。

静止の状態で身体が足が一歩一歩すすんでいく。

 

タイ人の瞑想に参加したとき、一歩一歩が完成された一歩であるといわれたが、まさにそんな気持ちなのである。

 

そこで何も必要としない。ただ一歩があるのみ。完成された一歩。また一歩。はじまりで終わりであるたった一歩。

 

完成された言葉のない本。

私にとっての栞は、前回みつけた植物かもしれないし、道の両脇の苔むしった森の中かも。

 

そしてそんなことを言葉にしようとしているのだからおかしい。