たまたまつけたら聴き覚えのある曲。実家に向かうカーラジオから流れる音をききながら妙にわくわくしつつ湖上の橋を渡る夕方。
monnin だよね。。と思ったら途中からあれ、ちがう、、
so what's だった
、、、、、、
先週、友人の大学の恩師に教育勅語について講義していただいた。(そこの話はまた)その先生は私の死んだ父親に雰囲気が似ている。
偶然にも父親と同い年である先生はご病気をされたにもかかわらず煙草を沢山吸われる。そんなところも少し似ている。
父親とは折り合い悪いまま10年も会わずに死に別れ。あらがいつつも趣味は多分父親寄りということを認めざるを得ない。
母親はそこのところの趣味がわからず父親のものをどんどん捨ててしまっていて私はダンボール一箱のレコードを救出。
その中にコルトレーンもある。
50年代のレコードはたくさんあるのだけれど私は父親がレコードきいてる姿はついぞみたことがなかった。
(巨大なコーヒーミルもあるがコーヒーをひくところも見たことがない。きっと学生時代の名残の憧れなのだろう。村上春樹も同い年)
、、、と実家に到着してそんなことを日記に書こうかとぼんやり思っていたら一通のメール。
so what's という名前のブログをやっているたろうちゃんが私のことをかいたよ、とおしらせ。
なんなんだろう、この伏線。偶然。すごく嬉しい。
たろうちゃんはひさびさの感覚の友だち。
出会って一年もたってないのに古くからの友のような。
なんとなく今はいない友人Tにも似ている。
輪廻転生は信条として信じていないが、なんだったか大島弓子の漫画で
「一度死んだら次にはなりたいものになるのよ。なりたいものが一緒だったらなりたい人たちで1人の人になるの!」
というセリフがあった。もし生まれ変わりというものがあるのだとしたらもしかしたらそんなこともあるのかもしれない。
先に話した父と先生に関してもそうだし、
たろうちゃんに似ているといった友人Tにしたってそうだ。
似ている。
というのは、
命をのりこえてきた場所で、先に逝った人が励ましというか、たまにのりうつるかのようにその人がみえることなのか。
(少しあやしいけれど)
たまたまつけたラジオや友人からのブログのタイミング。
先日、自己肯定感がとてもある友人が
自分のいろいろの失敗や難点があっても、それはその点だけ。
自己否定にはつながらない
「だから、何?」といい意味で開き直れると。
'so what's '
そんなわけで、so what's のたろうちゃんに私はどんな風に返事しようかとほくそえんでいる。