かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

スケッチ効用

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結局のところ

縫い物の集まりだろうが湖岸でスケッチだろうが、そこに来たいという思いと横の繋がりの中で相手の心や自分の心から染みでるなにかをスケッチするわけです。

 

今日は最初からそもそもそんな感じで他の参加者みたいに湖岸に出向いたりして風景をかかずに、先にきてた少年の名前をかいたり、文字を書いたりしていた。

 

そんな落書きな私の紙も含めて参加者全員のスケッチが木の下に並べられる。

 

風景がかかれていたり葉っぱがかれていたりしてる中でそれぞれの絵をてがかりに知らない人と話す。

今日は作ったお茶や竹テント、楽器なんかももっていたからそこに興味をもつこどもたちもいたけれど、スケッチすることでそこの場に居られる気楽さの中、

 

なにかしらをきっかけに会話になっていく。

意外とそこは他愛もないようにみえて、他愛もなくない。

 

それぞれになにかしらをを抱えていて、他人からみてもそれは大変そうだったり一見、大変そうにみえなくても他愛もなくない程度には抱えてきてる。

 

とつとつと話すこと、または他愛もない風に、きっとつらいことをゆるくはきだす作業は心からでる線描があるからついでにうっかりでてしまうことなんだろう。

 

私は今日の大半ほぼひとの話をきいたり、ちいさなひとの音楽やお茶への興味に関心したりしてすごした。

 

朝一番に手書きで書き綴る、というのを(モーニングページという)してからきたのもあるけれどそれぞれの心象スケッチともいえるものになんとなく身体が反応していた。

 

もう参加者が帰りかけ、

ようやく風景をかきはじめた。

湖岸と反対方向には伊吹山がみえるほど澄み渡った空。

 

さざなみほど美しく難しいものはないなと、デッサン能力のなさを棚にあげつつもめにみえる部分が心とつながっていく

 

なんとなくばらばらで、かといって一体としたスケッチの日。

 

理想の学校の在り方に近いのかもしれない。

 

#アトリエイチイチ#スケッチの日