この冬、踊り手である友人の企画で音楽と言葉と歌とダンス、そして絵。
Eの面白い手法でつくりだした言葉や絵や身体の動きができて
踊り手Eの出産前にライブをした。
うむひと
というテーマで私はおりてきた言葉を朗読し、普段から音楽を一緒にやっている友人がメロディのようなものをウクレレで弾き、私は朗読しつつ口ずさんだ。
その後ウクレレのメロディラインから素敵な曲がうまれた
うみうた
海ともかけているような夏にもよい曲
作ってくれた友人が男性であるというのもあるが
男性からみた女性たちへのオマージュのような、応援のような曲。
うたうひと、おどるひと、そして描くひと、、
出産といううむを超えて殻からうみだされる音やうごき、そして描くものがある
ことばは出されたら受取り手の中でいかようにも変化していくものだと思う。
受け取った後も日々の変化の中でイメージも変わっていくかもしれない。
踊り手だった友人も無事に赤ちゃんを出産し、ベビーラッシュ、知人友人がいまうみだそうとしている
当たり前のように過ごしているけれどそれは本当神秘的なこと。
生命だけじゃなくてうみだすときには大なり小なりそれ相当の神秘的なことがあるんじゃないか。
うみうた
の歌詞に
わたしは描く
何度でも愛をこめて
うつくしく強く
理想を求めて
というのがあって
その「理想を求める」という言葉に最初照れを感じていたけれど
日々更新していくことすなわち理想なのかもしれない。
更新はくりかえすことでもあり、繰り返しは大切ではあるけれど日々更新、よりよい方へ変化していこうとするのが人間
年を重ねると衰えをかんじることもあるけれどそれでも日々よくなる、新しくなる刷新していくイメージ。
よせては返す波も繰り返し
でもよせてかえすことは
もう最初の水とはちがう
浄化
海のイメージとぴったりだ
うみだすことは既存の繰り返しの中にあたらしさがある。再生ともちがうけれど全くみたことないものでもない。なにかしらうみだす側の何かを、感じつつ次へと進んでいく力
もうすぐ10年前に産んだ娘の誕生日もあるからそんなことをいろいろ思うのかもしれない。
写真は娘の🍊ゼリーと🍋クッキー。そういえばうまれたころ私もゼリーをよく作ったな。
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