かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

player in the life

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神は細部に宿る

 

一点一点ペンを打つように置くように描いていく点描ワークショップ、絵描きの友人と一緒にいったのだった。彼女は日頃から描いているのもあってさすがにのみこみもできあがりも素晴らしいのだけど、彼女のいうところの一点、一点が完成である気がする、という本質をついた一言をきいてそこにさすが、と思った。

ワークショップの中でひとつひとつ点を置いていくと、お喋りをだれもしなくなって、私は自分の出来不出来はどうでもよくなってそこの一点、一点に入っていく、瞑想していくような気がしていた。ちょっといっぱいいっぱいだった気持ちも溢れてきて少し涙が出そうになった。

 

 

 

また週がはじまって、こどもたちのいる園にいく。お帰りの時間に、お当番さんが1人ずつにライアーをまわしてそれぞれが一音ずつ鳴らしていく。それぞれに高い音があったり低い音があったり。

どれも技など関係なくその音、その音が完成されたもの。。

 

私もつま弾いて、そんなことをぼんやり考えていると帰り会のお祈りがはじまった。

「頭の先からつま先まで神さまのすがたです。。」

 

神は細部に宿るとはきいたことのあるフレーズだけれど、細部どころか、一点一点に神さまの似姿があるのではないか、、

 

日常も点と点で連続している。

そして一点、一点で完成している。

まちがった声も聞こえる時もあるけれど、なにも比較することはない、その一点で完璧だ、と思う瞬間がある。

 

それは葉っぱがひとつとして同じ葉脈がないのにどれも美しいということと同じだ。

 

ていねいな自然の姿に私もまねようと、すこしずつちかづいていこうと、いのるようにしてなにか点を置いていこう。

ひとつひとつ、音を奏でよう。いのりとはそういうものなのかもしれない。