友人と久しぶりにゆっくり話したとき、毎日逆立ちをするという話をしていた。
ほんとうは逆立ちの姿勢がほんとうなのかも?
逆子っていわれる産まれ方は足から産まれてくる。
ということは逆立ちって
全てをひっくりかえしているようで本来の姿に戻っている。
でもあまりに逆立ちじゃないほうが当たり前になっていてずっと逆立ちはできない。。
けれどやるとなにか本来の身体や心に戻るような気がする、とその友人が言うので、家に帰って思い切って何年かぶりにやってみることになった。
こどものときはぐるぐるまわることやさか上がり、逆立ちも不器用なりにあの、逆さになって引力からさからう不安定さが心地よい。これは懐かしさからきているのかもしれない。
胎児の記憶やこどものときの時間の流れは大人よりも長い。
その時にずっと逆立ちしていた「私」はどうして地に足ついていることが当たり前になっているのだろう。
さてわたくし。逆立ちをどうにかして壁をたよりつつ何秒か、何分かしてみた。
使ってないところがぐーんと伸びる感じ。忘れてた感覚。ずっとはできないけど、またしたくなる感覚。
夏にみた森山未来のダンスの言葉にも通じる。あたりまえになっていることが実はナンセンスでナンセンスだと思っていたことが実はほんとうだったりする。
時間の概念や常識的なこと。それが社会を作っていくから必要ではあるけれどドクマティックになっていくとき「逆立ち」してみる。
ひっくりかえしてみる。
1日分のドグマを逆立ちでまたフラットにする。
今日もやっぱり寝る前にやるかな。