何もみえない暗がりの中に入っていく
いかに視覚にたよっていたのか、よたよたしながら入って声と壁をたよりにたどりついて、しばらく暗闇の空を視る。
なにもみえない
みつづける
なにもみえない
それが
みえるようなきがしてくる
もしかして明かりがつきはじめたのではないか。
大きな窓のような薄暗い光を感じる。
前へどうぞと言われる
ひとの顔も認識できるほどの明るさ
しかし
最初から照明は決して明るくなってきてはおらず、なにも明るさは変わってない。という。
真っ暗闇に通されたとき、恐怖に耐えるためにいつかきっと明るくなるという希望がある。
突然の暗闇をこうやって擬似的に体験することはあるが、だんだん暗闇の中に目が慣れていくのとは逆に世の中は暗闇に少しずつなっていて目がそちらの方に慣れてしまうことがある。
あたりまえのあかるさ、あたりまえのくらさ
あたりまえのよろこび、あたりまえのかなしみ
まるでそれはネガティヴでもポジティブでも、慣れたら大したことないかのように順応していく
芸術の、意識的な装置に身を置くことではたして、私のいる場所は、あたりまえなのだろうか。と疑問に思う。
以前にもきいた(ひっくりかえす)という言葉。
ここでも島を離れる前にきいた
私の視ているこの木は私の外側にあると、あたりまえに感じているがもしかしたら内側にあるのかもしれない
かなしみは、私の内側から発生していると信じて疑わないけれどそれはもしかしたら私の傍にあるかもしれない
何かの装置、何かの場所を通過してみて、
信じていた何かが全く違う位置にあるのを感じる。
辺境へ辺境へ、旅をして私の場所をさがそうとして帰る場所にそれがあるのに気がつくのは、
そういった
ひっくりかえり
の作用が辺境の場所でおこる
日常に戻ってその
(ひっくりかえり)をまた信じられなくなったときにヒトは芸術的装置に惹かれて、日常から離れて辺境へいくのかもしれない
ジェイムスタレル/直島、南寺にて