向田邦子さんの部屋の棚にはたしか「う」とかいた抽斗があった。
美味しいものの情報をいれておくひきだし。ショップカードとか、おてもとなんかの店名なんかが書いてあったんじゃないかと記憶する。
いくらネットやなんかの検索があったとしてもその根っこにはこうした口コミのようなものがあると思う。
向田さんが妹さんとままやという小料理屋をはじめた話は有名だ。
そんな美味しいもの好きの向田邦子の小説をいま再読していて
(正確にいうと再読というより再聴。
最近の私はラジオもテレビもしんどくて岸田今日子なんかの朗読をきいている。)
描写される合間、合間でふっとbarがでてくる。
大人になってもそういったところに縁がなかったものだからそんなシーンをみると、どんなところだろうか、と妄想してみる。
息子が手に入れた漫画バーテンダーで、barは止まり木、tenderは優しい
つまりbarは人にとっての止まり木。
と書いてあった。
休憩だったり、ここぞとばかりのなにか停留場所だったり、リトリートする場所だったり。
居心地のよい空間を求めていることの多い私。結局その場にいて、自分を取り戻そうとしている
カウンター越しにバーテンダーはその人の孤独や寂しさ、弱さを発見してそれに合うカクテルをつくる。
バーがきになる、って思ってたけれど、単にお酒の奥深さがすきなだけじゃなくてきた人をいやす作用が気になるんだろうなあ。。
それは丁寧にいれたお茶でもいいのかも。
朝駆けに珈琲をのみに、というより淹れてくれる人に会いにカフェに行った。ほんの1時間もない時間で大きな力をもらうのだ