友人が数人きた先日。
静かにただ静かに語る。
あの白い箱のように外がいかに晴れたりくもったり、時には嵐でも、すぎゆくその場所での自分を観察していく。相手をジャッジすることも、アドバイスすることもしない。その人の語る問題をきいたままに相手が語る。問題だと思ってることが客観的になることで、ああ、それはすぎさるものだ、と意識する。
話していた友人が、百葉箱のようだといった。なるほど。「百様箱」か。
やっぱり「葉」、かな。
話していた中でおもいだしたのはある祈り。
ーーーかえられないことを変えない勇気を、変えることを変える勇気を。それがどちらのか見極める知恵を与えてください。ーーーニーバーの祈りより
なにか問題があったとき、相手を変えることはできない。自分を変えることすらむつかしい。
そんなとき何を、どう変える必要があるか。自分を汚すほどに相手からうけた傷に反応してしまう自分をどういう風に受容するか。
そんな「私」を百葉箱の中に入ってるとして、観察してみる。