かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

花落つるとき

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なにがそのものハイライトなのかわからない。咲いているときなのか、蕾のときなのか、はたまた地面におちるときなのか。朽ちていくときなのか。

芍薬はつぼみの、きゅっとつまったときがすきだ。
でも開いてきたときのそのボリュームに毎度おどろいたりする。あるとき、しばらくすると
重たいその花弁は開いた重みで、少しの刺激(生け直したり)で落ちてしまった


しばらくその美しさにみとれてしまった







花は咲かせるところに意識しているようで、そのもののはじまりから、たとえば

種のかたち、芽が出たとき、茎がでたとき、葉のかたち、また枯れていくとき

「観察」してみるとどの場面においても美しさがある。



また花を生けるための、それまでに至る掃除やしつらえは楽しい。普段からの掃除が滞っていると、なかなか大変な作業になるときもあるけれど、そこに至る道に私はわくわくする。

どの器とこの花はいまあうのか。
どこに行き着こうとしているのか。

人の都合や、種になったときその植物はその場を離れたりするけれど、

生まれてからそこから一歩も離れない植物にとってもひとつひとつのことがドラマティックで、まるで旅なのだ、と思う。

人の動きもそうだろう。
華やかな場面がめだつようだけれど、その華やかさに至るまで、それを支える人。ひとしずくの行為が大河になることもあるというから地味にみえる行為、過程も面白く美しい。