かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ梨木香歩著)という少しどきっとする本に出会った同じ頃、ガイアシンフォニーの映画の券をもらって観に行った。もう20年は前だ。


ドキュメンタリーでとりあげられている3人の人の中で無名の、このおばあさんは一体誰なのか?



ダライ・ラマでもなく、ジャックマイヨールでもなく、だれもがこの方に魅せられたと思う。


佐藤初女さん


この方は「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんと重なる


佐藤初女さんのことを一言でいうなれば

「生活の中に祈りがある」

まさに悩める人に対して傾聴し、ごはんをつくり。。
一度おはなしさせてもらったときの感覚も忘れない。

言葉だけでなく生活のなかのていねいさに悩める人のこたえや癒されていく過程があると思う。



さて、タイトルの通り、西の魔女が死んだは、冒頭から主人公の祖母の死の知らせからはじまる。


そして主人公の追想

おばあちゃんの家に孫である、学校に馴染めない主人公がしばらく滞在しすごしていく。そこでおばあちゃんとジャムを作ったり、ハーブ育てたりしながら自分とのネガティヴな感情とのつきあい方をまなんでいく。



おばあちゃんが死ぬときに主人公の孫に印を遺しますよ、というシーンがあった。

決して怖くないカタチで、メッセージを不思議なカタチでのこすと、主人公につたえる。
最後のそのシーンは実にすがすがしい。






霊の世界は私にははかりしれない部分はあるけれど、意識の中にその存在が大きければ大きいほど、伝えたい人が多ければ多いほど不思議なカタチで伝わる。






この2/1佐藤初女さんがなくなられた。


初女さんが天に召される3日ほど前、ふと、ノートに書いたはつめさんの言葉をみつめていた。そんなことはほとんどないことだ。食は生活の基本、といつもよりていねいに食事を作った。



同時期にブログなどでそんな風に、本を読んでます、という方をみかけたり友人とも不思議だね、と言いあっていた。

3日後、しらせをきき、なんという方だろうと思った。虫のしらせなのか。メッセージをあらたにのこしていかれた。


この事を通して梨木香歩さんのこの物語は、死がテーマであるとあらためて気づく。タイトルからして。
しかし死とは終わりではない。



生きていたときのされていたことが活性化するというか。在ると思ってたことがなくなってしまった、とのこされたものたちは思うし、実際穴があいたように感じるけれど、はつめさんにいたってはああ、またおむすび握ろうとおもったりする。


その人の死によって悼む人たちとの縁が深まることもある。

生きた証がおおきれば大きいほどスピリットがずっとそこにある。

でもそのためにはよりよく生きることだ、とあらためて思う。



私は自分の言動や行動に対して反省も多い。
情けは人のためならず。
自分を満たすことが相手を満たすことにつながる行動を。

大きな方ではあったけれどそんな人こそちいさなことにも忠実であったであろう。

いただいたことを胸にまたすすんでいこう。