かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

巡礼ということ


先人が歩いたところを祈りつつ歩く
行為を巡礼というのだろうけれど、
私の行く先は、無意識にここのところ巡礼のようだな、と帰ってきてから思う。


墓参りや供養という言葉が私は苦手なせいか故人を偲のぶのにそういった行為でなくてもいいのではないかと、ふと思ってしまう節がある。



先日神戸に行ってきた。祖父母がいたところでもあり、少し住んでいた場所。
すてきなところで大好きな雰囲気なのだけど、反面いろいろなことを思い出して
あまりむきあいたくない場所でもある。

かなり久しぶりに会う友人から神戸に行こうよ、といわれある店に行きたいと提案してみた。

イギリスのアンティークや日本の手工芸のセンス。

moris↓

http://moris4.com/


できて間もないちいさな上品な空間でまさかのことがおこった。友人がそのみせのオーナーのおかあさまと、10年前に旅先のイギリスでたまたま案内してもらったというのだ。
10年ぶりの不思議な再会!


行ってみたい、ただその感覚だけで導かれる場所は過去の自分とのかかわりとの再会もあるし、もう会うことのできない風景や人との接点だったりもする。




帰り道、父親といった記憶のある珈琲店の前を通った。

電車が動かなくて歩いた道を思いだす。
あれからもう20年超えた。

あの日ほどじゃないけれど今回もたくさん歩いた。

友人の神戸時代の豊富な話をききつつ。

私の記憶もよい記憶にどんどん刷新していこう。

神戸でひとつガラスのピッチャーを買った。