かやつりぐさ

綴文字 紡グ詩

家の庭とかく

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立冬すぎてicebergが咲きました。
嬉しい



20年近く好きな作家梨木夏歩さん。
そのひとつに裏庭というファンタジー小説がある。


裏庭っていうのは表向きの庭ではなくて家族だけのプライベートの庭のことらしいのだけど(日本では現実的になかなかむつかしいな)

ファンタジーな作品の中でも主人公のおかあさんの幼少時代の、それもインナーチャイルドを旅するような物語だったと記憶している。


最後にイギリス人だかが、日本語では家庭って、家の庭って書くんですよね。と語る。

あまり意識しなかったけど、どうして家庭って書くんだろう。本当不思議です。

しらべてみると、漢語にあった家庭という言葉をhomeの訳語として、内村鑑三が訳したとか。
宮廷、朝廷と同じで、どちらかというとgardenの意味よりもplaceの意味が家庭の庭にはあったのかも。でもなんというかその名前の由来には不思議な気持ちになります。あまりにも言葉が日常になりすぎて奥深い言葉のうねりを感じるひとときを小説の一文で感じます。

家(心)の中に庭がある。

裏庭の話の流れ、たとえとしての、心象風景としての庭。


私は家庭でいろいろ耕したりしてるだろうか。憩う場にしてるだろうか。収穫したりする場にしてるだろうか。




昨日周りの友人がどんどん参加している、stepという心理学のお話会に初参加してきました。注①

こどもを立派な実に育てることだけに目をむけないで、収穫していく(巣立っていく)ことに目をむけてください、といっておられるのが印象的でした。
立派に立派にしようとして木から実が離れないまま腐ってしまう。。


手放していく。みまもる。
思春期の子がいる身にとっては親としてもそうだな、とつくづく思うし

自分の感情もそうなのかもしれない。
とふと気づく
(自分と自分のインナーチャイルドという意味では親子関係になぞらえられる)

枯れかけの木をみて水をやればいいとおもったら根腐れだった。。注②

という話も以前聞いたけれど、どうしても社会的なことに縛られてほんとうのニーズに目をむけられないということもある。



植物をそだてるように心も育てていくのだ。と、「家庭」という言葉からいろいろ連想していく。

ふと私が潜在的に家庭がもちたいというところはそういう意味あいもあったのかもと気づく

箱庭療法もいうなれば、心の世界。


アルコール依存の回復センターを卒業した人が恋愛する前に植物を育てて枯れなかったら恋愛してもいいというルールがあって、何度も枯らしてしまう。。と嘆いているシーンがなにかの映画でもあったっけ。注③



ナウシカに心の心象風景、その人、その人の心の森というのがあって、、深い森がナウシカにはある、、とか、、


森までいかずともforestgardenにしていきたい。きっとちいさくとも深くかたちづくることは可能だ。注④



注①
アドラー心理学を土台とした心理学
注②
非暴力コミュニケーション
注③
サンドラブロック演ずる28daysというアメリカの自助センターの映画

注④
パーマカルチャー