フランスと淡路島の横にある沼島の地層が繋がっていると、以前行った時にきいて驚いたことがある。
海があって一見隔たりがある海でさえ、
奥底でつながっている数千キロを超えたところで地層的につながっているときいて専門的に意味はわからずとも喜びを感じた。
小さな点、小石。薄い地層。
そして、また層ができるのがわかるほどに全く異質の層があらわれる。その重なりがどんどん重なっていくと、それはまるで一つのものであるかのように異質と異質の重なりであればあるほどその固体は美しさを増す。
自分とあう、とかあわない、とかそういうことを超越してそれこそ神の計画の中で私を含めて人はその場に置かれている思う。
そこに苦々しさの感情が湧くことあるだろうけれどそれすらも深みになることもある。
できあがったものは美しさしかない。
音楽をつくりだす人もまたそこに集まる人も、またそこに向かっていろんな多様性があればあるこそ深みや層になっていく。
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一年前から9回シリーズではじまったroomという音楽会。スティルルームという場所で、ビオラ奏者の優子さんとゲストが毎回紡ぎだす音楽の時間。一回目にゲストで参加させてもらってからなんとなくずっとかかわらせてもらっている。今回8回目はたいせつな友人がゲストになった。
優子さんがゲストを決めるというよりはそのときそのときの流れでまた音楽性も歩み寄ったり、不思議な相乗効果がうまれたり。
今回はすでに重ねてきた様々な「地層」にさらにキラキラ光る鉱石が現れたとでもいうべきか。いままでももちろんキラキラしたものがたくさんあったのだけれど、その蓄積に、レイヤーにこの段階になってその地層の深さに気づいたとき、深い感動があった。
感動って感情が溢れてしまうのとは少し違う。
自己と他の区別がなくなるというか、みている方が演奏している方と区別がつかなくなるような。。
演奏者たちの美しさと自分を比べて、、ということがない。一体となるようなつながりと連続性。
このところ表現者でいたい、という気持ちに自信のなさをおぼえていたり、出る側ではなく、サポートをする側の人間なのかも、、と若干自己評価が低下していだけれど、roomは私にとってそういうことも考えなくなるところ。
カフェの名前がStillRoom(熟成するところ、寝かすところ)だからなのかも。
自己とか他己とかの区別がつかなくなるってこういうことなのか
めにみえない音楽に惹かれるのは。そこなのかも
そうなると
roomのイベントだけじゃなくてスティルルームも、さらにそれぞれの生活の日々、日々が地層なんだと思う。
ちいさなひとつの偶然が重なって重なって。ひとつの点が連なって連なって。
追伸
ゲストである友は演奏会までの日々を航海にたとえていたのでふと沼島からフランスに連なる海を思いだしたのでした。
StillRoom
room.vol8
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