祈りについて解説をある牧師がしていた。
旧約聖書の時代は祈りをささげるとき、4つの香を携えて聖所に入る。新約の時代も4つの香のような祈りがあると。
Pray=祈り
Pはprotest
Rはrequest
Aはadoration
Yはyield
私が思うに順番も大事だと思う。
大変な自分の状況をみるときに
神よどうして??
といううちひしがれた、砕かれたような気分になる
祈るときそういうものを歯を食いしばって我慢して感謝しなければいけないと、思ってしまう傾向があるけれどそれは違う。
不満はまず訴えていい。
砕かれたたましい、、という言い方をするがそれは手づくりの香を焚くために一回一回砕く行為に似てる。
こんなものを神は喜ぶのだろうか、と思うのはこちらの感覚。よく考えてみれば、神にたいしてオープンだからこそ訴えたくなる。親しい間柄。
そしてこうしてほしい、と要求したくなる。
ここの行為までを私はとばしてきた気がする。
天に向ってそれをしないと、いつのまにか人に対して、また自分方向への不平不満のループにやられてしまう。
その段階まできてようやく
神が私の要求をきいてくださっている、かなえてくれる、と信じてうけとって感謝し、信じてゆだねていく。
神との関係の親密さ。親に向って安心してうったえかけるのと似ている?かどうかはさておき信頼関係がそこにある。
神が私に今してくださっていることに関して、抗いながらも、自分の要求をうったえながらも自分の思いを超えてそれを誉めるということ、絶対いいようにしてくださるという信頼。
いままでの人生は同じ神さまに向かって
順番をまちがって祈る行為をしまっていたかもしれない。
自分の気持ちや要求(ニーズとも言い換えられるかもしれない)を後回しにしてやみくもに感謝して、心ここにあらずで「信頼します」といってみる。
それは言ってるだけ。
まず、どうして?!
から。
するとあなたはどうしたいのか。とこだまのように返答がくる
そして変えられるものと変えられないものの見極めとそこも委ねていく勇気と信頼がおりてくる。
私の気持ちもちゃんとそこにあって
強烈な怒りが実は寂しさだったり、病気したことが実は大切にしてほしいということだったり。
今の状況を表面的にみてみるのではなくて天に祈ることによって深く内観してみる。